フリーランス三カ月目。替えがきかないことに憧れたが、今は替わりがほしくて仕方ない

この記事を書いた人:カツセマサヒコ(フリーライター・編集者)
1986年東京生まれ、30歳。下北沢の編集プロダクション・プレスラボでライター/編集者経験を経て、2017年4月より独立。 広告記事、取材記事、エッセイ、脚本、Web小説等の執筆やメディア運営、企画、取材、編集、拡散等の領域で活動中。趣味はtwitterとスマホの充電。

 
 
今年4月に、プレスラボという編集プロダクションを退職して、フリーライターになった。

プレスラボに入社したのは2014年の7月だから、ライター暦はほぼ3年。
 
ライターになるまでは大手印刷会社の管理部門で5年間働いたので、経歴は以下のようになる。

 
大手印刷会社の管理部門 5年(22歳で入社)

サラリーマンライター 3年(27歳で転職)

フリーライター 3カ月(30歳で独立)
 

編集プロダクションを辞めてフリーランスになろうと決めた経緯は退職インタビューにまとめてもらった。一言で言うなら、「個人仕事が増えてきたし、もっと自由度と収入を高くして働こうと思ったから」である。

独立という選択。“メディア”として生きる覚悟|カツセマサヒコの終わりなき旅

 
今回は、本媒体への寄稿依頼を受けて、「独立してから3カ月が経ったけど、ぶっちゃけどうだった?」というテーマで書くことになった。

「フリーになりたいけど、なんだか不安」
「このまま会社員でいいんだっけ?」

と考えている人に届いたら幸いである。

何をしたらいいかわからなかった、独立初日

2017年4月3日(月) 11:00
 

独立初日を迎えた僕は、寝間着のまま「まず何をすべきか」を調べていた。完全に後手。普通は先に調べておくものだと、諸先輩方から散々怒られる。
 

ライター業をフリーで営んでいる人は周りにも多かったから、どこか安心していた。聞けば誰かしら答えてくれるし、不安が小さかったのはそのためだ。
 

相談してみると、とりあえず独立したら、「開業届」を税務署に出せと言われた。
 

ああ、税務署とか、いいな。
 

前職の編集プロダクション時代からスーツは着ていなかったし、出社時間も決まっていなかった。もともとフリーランスに近しい働き方をしていた僕にとって、独立した実感は、役所に行くことくらいでしか得られないように感じた。


ところが、ITの発達は想像を超えていた。面倒くさいと思っていた書類の記入や手続きは、今ではネット上でほぼ完結するらしい。

 
友人から送られたサイトを開くと、開業のための書類作りをそのまま始めることにした。

項目はシンプルで、ほぼほぼ迷うことなく進む。

しかし手が止まったのが、「屋号」の欄。

 
「個人事業主でも、屋号って必要なのか……」

 
高校時代のメールアドレスが「child-philosophy@docomo.ne.jp」だった僕である。
ネーミングセンスが皆無の人間にとって、自分の屋号を決めることほど高いハードルはない。

 
2カ月くらい熟考したいし、金があるならコピーライターに外注もしたい。
しかし、初日に開業届を出すことで「フリーランスになった実感」を得ることは、僕にとっての最優先事項だった。

 
慌てて友人たちに、どんな屋号を持っているか聞いて回った。

確定申告ぐらいでしか使わないらしい。

本名でもイケる。

でも社名も個人名も同じだとちょっとネタっぽくなるらしい。

結局、「会社名にするなら変えた方がいい。でも自営業の屋号ぐらいなら本名でもOK」とのことで、納得できた。

こうして何人かから話を聞いた結果、ペンネームであり、本名をカタカナにしただけの「カツセマサヒコ」に決めた。

 
ちょっとアホっぽいけど、きちんと納得したからいい。
肩書きも、名刺には記載しない。
先の退職インタビューでも答えたけれど、自分の名前で仕事を取ってくるようになろうと改めて腹を括った。(それに、少なくとも高校時代に付けた「child-philosophy」よりは絶対にいいと思えた)

そんなわけで、名前を入力。

今になってこの記載に気付いたが、この場で決めなかったらずっと決めない気がするので、やっぱり開業と同時に決めてよかったと思う。

結局、必要事項を入力し終えるのに30分もかからなかった。
屋号に迷わなければ10分切っていたかもしれない。

あとはプリントアウトして、

捺印して、
(印鑑は昔から使っていたやつ。なぜか実印を親からもらっていた)

税務署まで届ければ、ミッション・コンプリート。

 
郵送も選ぶことはできたが、なんとしても当日のうちに「開業できた」という喜びを得たかった。税務署はそこまで遠くないところにあったので、ほかに急ぎの用もないから直接持っていくことにする。

「絶対に時間がかかるんだろうなあ。役所と言えば、行列とたらい回しのメッカだからなあ」

 
何故かそれすら楽しみだった。
独立が目標ではなかったけれど、「独立した!」という事実だけはちょっとしたイベントのように感じていたから、フリーランスの諸先輩方がよくやっている「役所への不満をSNSに書くこと」は、ちょっとしたお楽しみのようにも思っていた(今考えるとかなり酷い話)。

 
しかし。

 

それも瞬殺だった。

 
そもそも、列がほとんどなかった。
事務員のお姉さんに書類を渡したらバン! バン! バン! と全力でハンコを押され、「はい、終わりです」と笑顔で控えを返された。面接も質疑応答もないまま、秒速で手続きが終わった。

 
何が「終わりです」じゃ。
こちとら、これからが「始まり」じゃい。

 
そんなことは口に出せるわけもなく、フリーランス一日目の大仕事、「開業届の提出」が終わった。(実働45分程度)

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独立して3カ月。替えがきかないことに怯える


で、開業してからもうすぐ3カ月になる。

 
「独立したなら、会社員時代の2~3倍は稼ぐこと」
と、社会人になってから出会った恩師に言われていた。

 
「大前提、家族と自分を路頭に迷わせないこと。どんなことを仕事にしてもいいが、それだけは守ること」
とも、習った。

 
ライターを始めたころから妻子持ちで世帯主だった僕にとって、これらの言葉は重く重くのしかかった。恩師の言葉が脳の真ん中にしっかりと根を張り、とりあえずは稼ぐことに躍起になることから始めた。

その一方、仕事はしっかりと選ぶ。

 
前職の編プロ時代から実践していたけれど、フリーランスは仕事を選べる。いや、食えなくなったら選んでいる場合じゃないけれど、今のところ、選ぶくらいの余裕はある。

 
金額感と労力とブランディングを天秤にかけて、キャリアと睨めっこしながら「受けるべき仕事」か否かを考える。イヤな予感がすれば即座に断るくらいの度胸がほしいが、「もしも来月ひとつも仕事がなかったら……?」と思うと、イマイチ強気に出られないこともある。新規の依頼をいただくたびに、自分と度胸比べをしている。

 
今のところ、売上は順調。

 
当初狙っていたとおり仕事の幅は広がって、いろんな人と出会えるようになった。独立前にはやったことのなかったラジオの仕事、作詞の仕事、雑誌での執筆、ラジオドラマや動画の脚本の仕事、大きな広告案件など、いろんなことが慌ただしく、同時多発的に始まった。

 
スタートダッシュとしては十分すぎて、5月末に熱もないのに嘔吐して、一度限界を知った。けど仕事は変わらずそこに残っているので、一時的にアシスタントを雇うなど、苦し紛れの対策を取りながらどうにかこうにか消化して、現在に至る。

 
替えがきかないことに憧れていたが、今は替わりがほしくて仕方ない。

「4大卒 初任給22万円」のブラックボックスから脱したこと

あたりまえだけれど、フリーランスになったら、固定の月収なんて存在しなくなった。成果物を納品したぶんだけ、お金が入るケースがほとんど。

 
本当は固定の仕事をいくつか持ってフリーランスを始めるのが定石なのだろうが、いかんせん飽きっぽすぎて、できるだけ連載に縛られずにフレキシブルに働きたいと思い、固定仕事は全体の収入の半分以下という状況で独立を決めてしまった。迂闊で、未熟で、夢見がちである。

 
ただ、ライターという職業は「仕入れ値」という発想が存在しないし、外注はカメラマンや識者、あってもたまに外部編集かモデル、ヘアメイクくらいなものなので、お金の流れが至極わかりやすい。だいたいの売上はそのまま粗利だから、仕事が来た時点で月収イメージがわくし、計算しやすくてとにかく助かった。

「この記事を書いたら、○○万円もらえる」
「この人に○万円払ったら、手元には〇万円残る」

 
小5でもできる計算がほとんど。
エクセルと睨めっこして、月の収入がいくらになるかニヤニヤしながら見つめることも、モチベーションにつながる3カ月だった。

「4大卒 初任給22万円」

 
果たしてこの22万円は、どこから来ているのだろうと、印刷会社時代に不思議に思った。とくに自分は管理部門にいたため、売上なんてこれっぽっちも立たない。営業部門が頑張って稼いだ人件費を「労働時間が多い」と営業を怒るために使っていた。働く意味を見出しにくかった。

 
誰がどんな働きをして手に入れたかわからないお金が、自分の給与に振り込まれる。このブラックボックスが解消されたことで、「生きること」と「働くこと」の距離は、少しだけ近くなった気がした。

 
働けば、お金がもらえる。働かなければ、もらえない。実にシンプルでわかりやすい。

長生きしたい。市場価値も、人生においても

「サラリーマンは定年後、2500万円程度貯蓄があれば安心。でも、自営業の場合はその倍の5000万円は必要です」

 
ポップな文体で書かれていた、サラリーマン・ファーストな現実に打ちひしがれる。
老後に5000万貯金することよりも、生涯現役でいることを前提に考えたほうがまだ楽しそうだと思った。

 
だからこそ、「休むときは休む」ということも考える。

 
編プロ時代もそうだったけれど、フリーランスはいつ働いてもいい。
働きたくない日は働かなくていいし、働く日は24時間中22時間働いたっていい。

 
気分に波がある人こそ、こういう働き方は向いている。
たとえば「夏フェスが続くから2週間は使い物にならない」と思ったら、仕事量をコントロールして休んでしまえばいい。「8月はめちゃくちゃ稼いで、9月は遊び呆ける」と決めたなら、8月は不眠不休、鋼の連勤術師にでもなればいい。

 
でも、冒頭でも書いたとおり、波がない人、仕事が好きな人だと、延々と働き続けてしまう。これはなかなか怖いとも思う。

 
次から次へと仕事のスケジュールを入れてしまうから休息の隙間はなくなるし、飲みにでも行こうものなら仕事が後ろ倒しになってしまうと考え、仕事に対して悪い意味で潔癖になっていく。フリーランスのひとり社畜化だ。(これが一時の僕である)

 
「働け!」と尻を叩く人もいなければ、「もうやめろ!」とブレーキをかけてくれる人もいない。フリーランスは、いずれの意味でも自己管理力が求められる働き方なのだと再認識した。

同時に、「あの人、最近見なくなったよね」と言われることが、非常に怖い。

 
TwitterをはじめとしたSNSでの拡散力を活かした仕事をすることが強みの商業ライターなので、ある種の人気商売のような節がある。数値としての結果を出し続けなければ「フォロワーは多いけれど影響力はない」と判断され、仕事がパタッと来なくなる将来も、見えなくはない。

 
とにかくストイックに結果を出し続けるスキルと体力、精神力が必要で、これはこれでしんどい。記事が公開され、SNSでのシェアボタンを押すたびに腹に力が入る。

市場価値的な意味でも、健康の意味でも、「長生きする」のがフリーランスの生き延び方なのだと最近は感じる。

 
そのためには、「無理しなくても稼げる方法」を早く構築する必要があるし、それができないような働き方だとしたら、とにかく一日でも長く「若い時期」を延ばすしかない。

 
あとは、子どもの養育費とか、私立にどのタイミングで行かせるかとか、なんだかそこらへんの妙にリアルでオトナな数字の問題もまだ先行き不透明で、それも勉強しなければいけない。

 
会社員でない以上、似たような収入モデルの家庭を見つけるのは難しいし、「働き続けること」にプラスして「将来的に不便なく暮らしていけること」も考えて行動していきたいから、なんだか大変そうだなあと、目の前に積まれた課題の山を見て途方に暮れている。

 
開業freeeが使いやすかったから、養育費freeeも早く出てほしい。って、甘えすぎか。

 
 
 
 

ああ、今日も忙しい。

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