「尊敬する人物はネルソン・マンデラ」 アパルトヘイト反対運動に飛び込み、最終的にNPO代表理事になったオカンの物語が熱い

freeeでインターン中のカヤと申します。南アフリカ出身で10歳の時に日本に来た、南アフリカ人の父と日本人の母を持つハーフで、1998年生まれの18歳です。

日本人女性が南アフリカ人男性と出会って結婚するって、あんまり普通じゃないと思うんですが、そもそもは母が南アフリカで働き始めたのがキッカケ。ユニークな家族構造のおかげで二か国で暮らし、色々な文化や環境を経験してきました。

なぜ母は遠く離れた南アフリカに行こうと思ったのか?その原動力はなんだったのか?これまで母の仕事を話題にすることはなかったですが、よい機会なので母の人生の道のりを知るべくインタビューしました。

<登場人物>

母:1960年生まれの56歳。名古屋市出身。21歳でアパルトヘイトの反対運動に関わり、南アフリカに移住。南アフリカ人と結婚し姉と自分が生まれる。現在はアフリカ日本協議会の代表理事として、アフリカに関わる様々な団体・個人の活動の強化とアフリカ理解を促進し、アフリカの人々にも重大な影響をもたらす世界と日本の政治・経済・社会・生活のあり方を問い直し、改善案などを提唱する。

私(カヤ):1998年生まれの18歳男子。南アフリカ人と日本人のハーフ。

<用語説明>

アパルトヘイト:人種差別思考の上になりたつ様々な差別立法を背景に、1948年の純正国民党政権誕生によって確立された政策方針

ANC : アフリカ民族会議(南アフリカ共和国の政党)。主にアパルトヘイトの反対運動に関わった組織。

JVC:日本国際ボランティアセンター。現在、南アフリカでは特にHIV/エイズに対して行動する人たちを支援しているNGO。

AJF:アフリカ日本協議会。アフリカに関わる調査・研究や情報発信、国際会議・セミナーなどへの参加や開催を通じて、アフリカの人々にも重大な影響をもたらす世界と日本の政治・経済・社会・生活のあり方を問い直し、改善案などを提唱する

アフリカンキッズクラブ: AJFの中の一つの部署。日本に住んでいるアフリカのルーツ(ハーフなど)を持つ子供たちのコミュニティー。主に子供たちのためのキャンプや運動会を開催しておりイベントなどを通して子供たちにもアフリカについて教えている。

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名古屋から南アフリカへの迷路

カヤ:母さんって名古屋出身で大学は慶応だよね?

母:そう、専攻は社会学部。

カヤ:慶応大学からどうやってアパルトヘイト反対運動につながったの?

母:社会学を勉強するつながりで、養護施設でのボランティア活動をしたりして、卒業後は福祉か社会教育関係の仕事をしたいと思ってたのね。

カヤ:大学入学時点で福祉関係の仕事したいって決めていた?

母:うん。もともと親が私に福祉関係の活動をさせてたんからだと思う。

カヤ:子供のころから?子供にできる福祉活動なんてあったのかな

母:両親がYMCAに関わり、国際協力や福祉のボランティア活動をしていたの。それで海外からのゲストが家に泊まることもよくあったし、小さい頃からYMCAの野外キャンプに姉弟でずっと参加させていたよ。

カヤ:このキャンプから福祉関係の仕事に就きたいって決まったってこと?

母:そこで子どもたちのお世話をしてくれる大学生のキャンプリーダーは、親や先生と違う
「大人」として、いい影響を与えてくれたし、そこから生まれたパッションでもあるし、将来的な仕事場も見つかったんだよ。事実、大学卒業後、財団法人横浜YMCAに就職して3年間働いていたし。

カヤ:あ、いきなりアパルトヘイト反対運動に参加したんじゃないんだ

母:そうなの。YMCAを辞めてからはスウェーデンに2年間住んでいた。

カヤ:スウェーデン?南アフリカじゃないんだ。それはどうして?

母:YMCAって世界で119の国と地域で活動を展開してるんだけど、当時のスウェーデンは「福祉国家」って呼ばれるほどの国だったし、「福祉を学ぶならここだ!」って思ったから。留学もできるし、自分の将来やりたいことにつながる機会だと考えて飛び込んだ。

カヤ:わざわざスウェーデンに行かずとも、日本でも学べたんじゃないの?

母:ある程度はね。でも福祉国家ともなると、国民一人一人が本気になって国の将来を考える信頼関係ができあがってるんだよね。それって日本にはないものだし、実際に体験するからこそ学べるものだと思ったの。

カヤ:スウェーデンに行ったことで、アパルトヘイト反対運動につながったわけだしね

母:スウェーデンって国内の福祉だけでなく、国際的な弱者への人道援助にも力を入れているの。そこで南アフリカのアパルトヘイト反対運動を紹介されて、私も参加するようになった。

カヤ:国際的な人道援助ってアパルトヘイト反対運動だけじゃないよね?いろんな国への福祉が行われていたんだろうし、数ある選択肢の中からなぜ南アフリカを選んだの?

母:1980年当時の南アフリカでは、人口の大多数が選挙権を持てず、ひどい差別や人権侵害を受けていたんだよ。学校も人種別で、子供一人当たりの教育予算は、黒人は白人の20分の1しかなかった。

カヤ:今の世の中からは、想像もできないね

母:自分と同じ年代の南アフリカ人の若者たちが反対運動をすると逮捕され、拷問を受けていた。自分の思いをただ伝えていただけなのに、拷問で死んだ人もいたんだ。そんな厳しくて危険な中でも自由を求めて行動している人たちは誇り高く、かっこよかったんだよね。

カヤ:その考えって”助けたい”んじゃなくて、”関わりたい”ってこと?

母:そうなんだけど、日本だけじゃなくて一つの国だけでこんな大きい問題の解決は不可能に近いと思ってて、サポート役とかたくさんの人々が協力し合って動かないと解決できないんだよね。だから”助けられる”っていう規模でもなかったし、そんなえらい立場にいる人はいないんだよね。

カヤ:ANCの中には、母さんが”この人についていきたい”って尊敬した人はいた?

母:ネルソン・マンデラを尊敬している。心が大きくて、偉ぶらず、他者を大事にする。その姿勢も実際にあった時にも感じられたし、純粋なものだった。

 

※ネルソン・マンデラと若かりし頃の母

 

カヤ:大統領にもなった偉い人にどうやって会えたの?

母:マンデラは投獄され、1990年に27年ぶりに釈放された年に来日したんだよ。会議や集会に同行したり、通訳させてもらったんだ。マンデラ以外にも、信念を持って社会をよくしようとしたり、他者のことを考え、行動する人たちにたくさん出会ったんだよ。そういう人たちも同じくらい尊敬している。

カヤ:そういう人たちは南アフリカの人も日本人の人も、ってこと?

母:そうそう、世界中からだよ。その人たちとも出会ったからこそまだまだ自分にやれることはあるってやっていけるんだよね。

カヤ:なるほどね、それがさらに福祉への愛につながったってことね

母:だから今でもやってるし、やめられないんだよね

南アフリカで父との出会いと、子供の誕生

カヤ:アパルトヘイト時代、日本人は「名誉白人」として制度上の差別待遇をゆるされていたんだっけ?

母:60年代に南アフリカ国会で当時の内相が、人種による居住区分でアジア人の扱いについて聞かれ「日本人は白人に分類される」って公表したから日本人はアパルトヘイト中は白人として、黒人よりも優れているっていう扱いだった。

カヤ:そんな時代に、母さんはどうやって黒人のお父さんと出会ったの?

母:アパルトヘイトの反対運動を通してだよ。

カヤ:具体的には?

母:お父さんは写真家で、写真展を日本でも各地で行ったの。黒人は写真学校に行けなかったから、独学で学んでいた。「自分たちはかわいそうな人たちではなく、尊厳を持った人間だ」って信念で人々の姿を撮っていたから、私もそのメッセージをすごく尊敬していた。アパルトヘイトの反対運動では、人種を超えて、皆一緒に活動していたから。

カヤ:出会いは反対活動を通じてだとしても、親や周囲からの反対はなかったの?その時代に、日本人の娘がいきなり黒人の男性と結婚を決めたら、誰でもびっくりすると思うんだよね。

母:結婚したいと親に言ったとき、反対されるかなと思ったけれど、私の決めたことを尊重すると賛成してくれたんだ。両親はYMCAなどで活動して、海外の友人も多く、家に泊まりにくる方たちもいたから、外国人と結婚することを受け入れる素地があったのだと思う。だけど、南アフリカ人というのは想定外だったかもしれない(笑)。

でも、アパルトヘイトの反対運動に関わることを理解し、応援してくれていたし、南アフリカの現実を伝える写真家として日本で個展を開催していた彼にも会っていたから、私の仕事や生き方と合わせて理解し賛成してくれたのだと思う。それはとても感謝している。

カヤ:お父さんと出会った時は、”助けてあげる”ってスタンスじゃなくて、あくまで”協力しよう”って意識で出会ったんだね。

母:結婚の話から脱線するけど、”協力”の意識ってのはいつの時代も意識せねばって思う。簡単に助けられるような問題も、ただ助けるだけでは不十分で、助けた後に人々は持続して自分で生活できないんだよね、アパルトヘイトだけじゃなく、世界のほとんどの問題ってのは国同士で協力しあわないと直せないものなんだよ。

日本から南アフリカへ、そしてまた日本に

カヤ:ANCって南アフリカの組織だったのに活動はずっと日本でやってたってこと?

母:そう、ANCは南アフリカの組織だけど、アパルトヘイト反対運動の中心だったの。世界中にも支部があって、日本からも反対運動には活発に参加できたわけ。

カヤ:日本でしかアパルトヘイト反対運動をしてなかったってことは、ANCを通して南アフリカに移ったわけじゃないんだ?

母:JVC(日本国際ボランティアセンター)っていう団体を通して南アフリカに移ったのは28歳の時。アパルトヘイトが終わって、ANCの日本支部も目的が達成できたから解散したのね。でも母さんは南アフリカに関わる福祉活動を続けたくてJVCに入ったの。

カヤ:JVCはANCとは全く違う団体?

母:全く違う団体だった。南アフリカではJVC(日本国際ボランティアセンター)っていうところで1992年から2009年までの17年間仕事をして、そのうち15年間は南アフリカ現地代表として活動した。その活動も主にHIV/エイズに対して行動する人たちを支援してたの。そしてその間にネオ(姉)とカヤが生まれたんだ。

カヤ:現地に移った時、日本と南アフリカでNGOの仕事をする違いは感じた?文化によっての仕事場の変化とか、実際に現地で仕事してるわけだから遠い日本では味わえなかった感情とか。

母:あったよ。南アフリカでは実際にスラムや農村やいろいろなところで、現地の人たちと一緒に仕事をすることが楽しかった。大変な事もあるけど、苦楽をともにできるっていうのが大きかった。でも日本でやってる仕事は「日本の人々にアフリカのことを知ってもらうための仕事」だから全く違うものだけど、重要性は感じるし、楽しいな。

カヤ:それが今AJF(アフリカ日本協議会)でやってる仕事だもんね

母:まさにそれ。日本でアフリカに関わる調査・研究や情報発信とか国際会議・セミナーへの参加や開催をするのも知ってもらうためだから。

カヤ:AJFは日本に帰ってきてから始めたの?

母:AJFはずっと前からあって、1993年に日本政府がアフリカ開発会議という大きな会議を開き、アフリカの首相や大統領がたくさん日本に来たの。その会議に、NGOとして提言を出すために、アフリカのNGOの人たちを招聘して国際シンポジウムを開催して関わった人たちがAJFを立ち上げた。

カヤ:日本に帰ってきてその代表理事の役目を引き継いだってこと?

母:そういうこと。


※姉と私(カヤ)

NGOとしての目標

カヤ:少し気になってたんだけど、NGOって普通の会社とは違うでしょ。利益は出さなくてもいいわけだから、”利益を出さなきゃ!”っていうプレッシャーがなくて楽じゃない?

母:楽じゃないよ!NGOは”利益を出さなきゃ”ではなくて、”結果を出さなきゃ”っていうプレッシャーに代わるだけ。活動を続けていくうちに実績ができて、そこから資金になる寄付や募金を得ないといけないの。だから結果を出さないといけないのは、普通の会社と同じ。

カヤ:具体的にやっていきたいこととか、今AJFとしての目標はあるの?

母:アフリカは54の国があって、言語も1,000以上ある。ものすごく広くて、たくさんの文化や社会の集まった濃い大陸なの。「アフリカ=貧困とか紛争」って一面的に見がちだけど、多様な文化や社会があって、自分たちの生活や社会をよくしようと日々がんばってるんだよね。そういったことの理解を広げたり、日本に住むアフリカ出身の人たちとの交流も広げていきたい。

カヤ:大雑把に言うと、アフリカと日本の架け橋ってこと?

母:大雑把に言うとそう。架け橋ができることによって、大陸同志で技術や文化の共有できるような関係を作り上げていきたいの。あと、共有しあう関係って上っ面でやるのはすぐにできると思うけど、長期的な関係を作っていくには日本にアフリカの美しさやすごさをまず広めないと、対等に協力し合える関係が築き上げられないの。

カヤ:アフリカと日本が文化的にもつながれるまでに、どれくらい時間がかかると思う?

母:正直わからない、私の生きてる間で達成出来たらうれしいけど。日本がアフリカの文化を本当に受け入れるには、まだ30年はかかるかもしれない。だからこそ、日本にもアフリカにもルーツを持つ子供や若者のための居場所を作ったんだけどね。

カヤ:それがアフリカンキッズクラブってこと?

母:そう、アフリカと日本のハーフの子どもたちはいじめにあったり、相談できる場がなかったりするから、アフリカンキッズクラブでいろいろなイベントをして、子どもたち同士が知り合いアフリカにルーツを持つことをポジティブに思えるようにな場所を作りたかったんだ。ここに集う子らもアフリカと日本をつなげられるルーツがあると思っているし、将来的には私以上の架け橋が作れる人材だと信じてるから。

カヤ:アフリカンキッズクラブも最終的に日本とアフリカが対等に、協力しあえる関係にするゴールにつながるんだね。

母:もちろん、そこからは外れないからね。

NGOを立ち上げる時のアドバイス

カヤ:最後に、NGOを立ち上げたい人がいたらアドバイスとかある?

母:AJFもNGO(非政府組織)であり、特定非営利活動法人というNPOでもあるからどっちにも通用するんだけど。NGOやNPOも増えていて、そういった団体をつなぐネットワークも活発になってるから、まず自分がやりたいことに近い他の団体について知ったり、そこから学ぶといいと思う。

あと、NGOは人との関係づくりがとても大事だから、海外で仕事をするにしても、まず日本で地域や福祉の活動に関わったりして、年代や立場を超えた人たちと付き合ってみることも実用的かな。一番大切なのは人を通しての経験ね!このアドバイスはどの業界でも同じことが言えることだと思うけども。

カヤ:今日はありがとう。日本とアフリカをつなげるのは時間かかると思うから、まだまだ仕事を続けることになると思うけど、どうか健康に気を付けて。

母:はいよ!

まとめ

僕は母のことを、「自分の母」としてしか知りませんでした。当然のように世話をしてくれたし、小、中、高、そして今も自分を育てた存在としてしか見えていませんでした。このインタビューを通じ、親としてだけではなく一個人として知れた気もします。

若いころの母の挑戦や自分が生まれるまでの道のりを目の当たりにして、自分のアイデンティティの一部がわかった気がします。母の無謀さや性格も感じられたし、何よりも親も親なら子も子という気持ちで少しうれしくなります。自分が親になった時に、自分の人生をわが子に語れるように頑張ります。

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