再生・細胞医療は「細胞の原材料」安定供給がボトルネック、へその緒の再活用で壁を突破するヒューマンライフコード原田CEOの挑戦とは?
なぜ、へその緒が重要なのかを理解するために、まず再生医療の話から始めてみよう。再生医療は、飛躍的な進歩を遂げ、実用化の時代を迎えようとしている。その適用範囲は広く、抗炎症作用や組織修復作用をもつ細胞を用いて多くの疾病に対応できるのだ。現在、心不全、心筋梗塞等の心疾患、虚血性脳梗塞、筋萎縮性側索硬化症、糖尿病等の疾患から健康維持・美容に至るまで、幅広く製品開発が進められており、人類の福音として世の中の期待も高まっている。産業として見ても再生医療産業の市場規模は、2050年には国内市場2.5兆円、世界市場38兆円(経済産業省)と予測される有望分野だ。
その再生医療のベースとなるのが、いろいろな組織や臓器の生成に欠かせない「幹細胞」だ。幹細胞は、胚(受精卵)から培養してつくられる「ES細胞」、人工的に作製される「iPS細胞」、もともと人間のからだの中に存在している「体性幹細胞」の3種類に分けられる。
この中で、ヒトES細胞を用いた再生医療は、研究開発段階であり、ヒトの受精卵を用いる医療は倫理的観点から規制する国もある。我が国においても体外受精による不妊治療において使用されず破棄されることになった受精卵の利用に限ってヒトES細胞の作成が認められている。
次に「iPS細胞」(人工多能性幹細胞)は、皮膚や血液など採取しやすい体細胞を使って作ることができる幹細胞だ。京都大学山中伸弥教授が2012年ノーベル生理学・医学賞を受賞したことで周知され、iPS細胞を利用した創薬や再生医療への応用は進められているが、品質の均一化、安全性担保の観点から、現状では、産業化にはまだ時間がかかる。
前置きが長くなったが、このため現時点において再生医療分野で市販されている幹細胞は「体性幹細胞」のみだ。それでも骨髄から採取された幹細胞は、骨髄の採取がドナーにとって大きな負担となっている。しかも骨髄の入手は輸入に頼っており原材料が高価で、原価が高いために作りだされる細胞医薬品も高価にならざるを得ない。そして、医薬品を安定供給する上での、安定した原材料の確保が決定的に重要なプロセスとなる。したがって、安定した原材料の入手は、安定した細胞医薬品の提供につながるため、再生・細胞医療の普及のための最大の障壁のひとつになっている。
これに対し、ヒューマンライフコード株式会社代表取締役社長兼CEOの原田雅充氏が、臍帯・臍帯血等から体性幹細胞を取り出す方法及び保存する技術を東京大学よりライセンスにて入手し、再生・細胞医療の大きなハードルを突破しようとしている。今回、大手製薬会社での安定的な地位と報酬を捨て、病に苦しむ人々を一人でも減らし、一度限りの人生を心豊かに過ごしていける社会の実現を目指して、ベンチャーを興した原田氏に話を聞いた。
ヒューマンライフコードが目指す再生・細胞医療のイノベーション
-御社の事業概要を教えてください。
私共は、臍帯(いわゆるへその緒)や臍帯血等の周産期産物から細胞を取り出し、抗炎症作用や組織修復作用をもつ細胞を培養し、細胞医薬品として開発、難治性疾患の根治、障害のある組織を修復する再生・細胞治療の研究開発を行っております。
現在、経営戦略上ライセンス導入した自動的に細胞等を分離・抽出することのできる機器「ICELLATOR」を薬事申請しており、医療機器関連事業にて、財務基盤を早期に固める目途が立ってまいりました。このため当社は第1期目から売上がたっています。
再生医療等製品である臍帯由来間葉系細胞では、炎症性疾患、希少血液疾患を適応症とするものが研究段階にあり、造血幹細胞移植後に見られる皮疹・黄疸・下痢を特徴とする症候群である急性GVHD(移植片対宿主病)を適応症とするものが臨床試験段階にあります。本件は、東京大学医科学研究所との連携により開発しています。
東京大学医科学研究所とは2017年9月に臍帯由来細胞を用いた共同研究に関する契約を締結、2019年3月には同研究に関する国際的な独占契約を取得、様々な疾患への治療に活かすための臨床試験も進めていきます。
他には、適応症が身体的フレイル・サイコペニア(加齢による体力の低下、身体能力の低下)とする臍帯血由来血管再生細胞も現在、基礎研究段階にあります。
それぞれ、国内外パートナーや研究機関との連携により開発を進めており、数年以内に新薬承認を得ることを計画しています。このように大学などとの豊富なネットワークを活用し、再生等医療等製品関連事業は「ライセンス契約」もしくは「特許共同出願」「研究開発」「薬事承認取得発売」というステップで事業化を進めていっています。
-事業の中で、今注力していることは?
現状は幹細胞をつくる材料の安定供給という課題に向き合っています。市販されている細胞医薬品は、主に骨髄から採取された細胞ですが、その施術はドナーさんに大きな負担が伴います。幹細胞を含む骨髄液の採取は提供者(ドナー)に入院いただき手術室で全身麻酔をかけ、腸骨(骨盤骨)へ骨髄採取用の針を刺して吸引して行います。皮膚の穴の数は、骨盤の背中側の左右から合計2~6ヶ所、 同じ穴から何回も角度を変えて骨盤に刺し直し数10回以上針を刺すことになります。これが、ドナーさんにとって大きな負担となっています。日本ではかつての薬害エイズの問題もあり、骨髄の国内流通に関する議論は進んでおらず、もっぱら米国製のものが輸入されているのが実情です。これに対して、私どもは廃棄されている臍帯など周産期産物を利活用することにより、国産かつ安価な再生・細胞医療の普及を目指しています。もったいないことに、現在、多くの周産期産物は利用されることなく廃棄されており、この未利用資源を利活用することは大きな意義があると言えます。
-こういった分野に取り組まれた背景は何なのでしょうか?
私は大学院を卒業し、日本の製薬会社に勤務したのち、米国・ニュージャージー州に本拠をおく製薬企業に入社しました。医薬品開発の統括ディレクターを務めていた2013年、先天性代謝異常で苦しむある小児の患者さんに出会いました。副腎皮質ホルモンの分泌が異常となり、頭が異常に大きくなる症状であり、不自然に頭が膨れ上がっている状態なので見た目にも違和感があります。さらに彼は重い炎症に伴う発熱に苦しんでおり、既に衰弱した状態で体力を考慮すると治療を行うことさえ難しい状態でした。
従来の治療法としては骨髄移植が想定されますが、これはまず患者さん自身の骨髄を取り去り、そのあとに外部から骨髄を移植するものです。患者さんの骨髄を除去するためには抗がん剤を多量に使用する必要があり、体への負担が極めて大きいものでした。治療が身体を衰弱させ、さらに治療が難しくなるという悪循環が考えられたのです。このように従来の治療を施すのが難しい中、どのような治療を行うのが望ましいか、我々は大変苦慮したのですが、議論を重ね熟慮の上、従来の骨髄移植ではなく、周産期産物由来の幹細胞を利用した治療を始めて実行することが決断されました。
これが米国製薬企業による周産期産物由来の幹細胞を利用した治療の第一号でした。この治療は、劇的な効果をあげ、様々な症状が改善していき、ついには頭の膨れも収まり、患者さんは元気を取り戻しました。メジャーリーグのシカゴ カブスのファンだという彼が頭の膨れでかぶれなかったカブスの帽子をかぶれるようになり、輝かしい笑顔を見せている姿に心が揺さぶられました。このように、病状に伴う脆弱さから本来の標準的な治療を受けることが困難な患者さんが多数おられるのが現実です。
このとき、患者さんの選択肢を大きく広げられる可能性のある再生・細胞医療分野を世界に普及させたい!という「心の叫び」が沸き起こったのを覚えています。当時は統括ディレクターという責任あるポジションを任され、研究開発の環境や待遇面でも恵まれた環境にあったと言えますが、「心の叫び」は止むことはなくこの米国製薬企業を退職することを決断しました。この時、社会人になって初めて無収入の状態になりましたが、躊躇なくたった一人で、この再生・細胞医療の事業計画の作成に踏みだしました。
運命が導く起業への道のり
-具体的にはどのような準備をされたのでしょうか?
起業に際しては、差し当たってアカウンティングやファイナンスのスキルが不足していました。このため、起業の準備として、まずアカウンティングやファイナンスのスキルを身に着けるためにニューヨークへ渡り、1年間滞在してニューヨークのビジネススクールでMBAを取得しました。この1年間は実際のところ当社設立のための事業計画作成の期間でもありました。
ニューヨークを選んだのは、世界最先端の知識や多様な人が集まる集積地というイメージを強く持っていたからです。想定したとおり、現在、当社の取締役となっているアンディ―(Mr.Andy C. Ye)と出会ったのもこのニューヨークですし、何よりニューヨークには「たった1人でも世界を変えられる!」という高い志を持った人物が身近なところにたくさんいて、まさにたった一人で再生・細胞医療の立ち上げをしようとしている私にとっても大いに刺激となりました。
2015年に帰国し、今度は研究開発から営業・マーケティング面の実務経験を活かし、国内創薬ベンチャー企業の執行役員として活動しました。同社においては、自社営業体制の構築や営業活動を統括し、ベンチャー企業での経営という貴重な経験を得ることができました。
このように帰国して2年後、様々な状況が整いReady to GOの段階に至ったと判断し
2017年に当社を設立しました。
創業時からご支援いただいている日本トリムとの連携は、大企業とベンチャー企業との連携として効果的に機能していると思います。大企業のリソースを活用することにより、創業期はオフィスファシリティなどのインフラや事務面のサポートなどの支援を得ており、代表の私自身はベンチャー企業としてコア事業の推進に集中することができています。
-そもそも、こういった分野に興味を持たれたベースにあるものは何でしょうか?
もともと、私は生物好きの少年で、これが現在のバイオ医療に携わる原点になっています。また叔父が発生学の研究に利用される「アフリカツメガエル」の大量養殖に初めて成功した人物でもあり、多くの研究者にボランティアでアフリカツメガエルを提供していたこともありました。「アフリカツメガエル」を間近で見て触れて、生物資源という人類に役立つ存在があることを学ぶきっかけになりました。
家庭環境はと言えば、両親は共働きでしたが、愛情を持って育ててもらった環境にもありました。小学校4年生から中学校まではクラス委員と生徒会長を務めてきたのですが、もともと人の役に立つと自身も嬉しくなるという気持ちがありました。この生物を基軸に「人の役にたちたい」という思いが、医療分野への道に進むことになった大きな理由と思います。
叔父は坂口章といい、亡くなった際、葬儀にはアフリカツメガエルを提供していた生命情報科学の研究者の方々に多く駆けつけていただきました。錚々たる顔ぶれを見て、私にとって「楽しいカエルのおじさん」であった叔父の功績の真実をその時はじめて知ったのです。実は、日本人で二人目の宇宙飛行士となった毛利衛さんが2度目のスペースシャトル搭乗で実験に使用したアフリカツメガエルも叔父が提供したものでした。
発生生物学の権威でノーベル賞候補としても知られる浅島誠先生も叔父が支援したひとりであり、数多くの研究者を支援した功績が認められて、浅島誠先生は生前の叔父に日本生物学会を代表して感謝状を直接手渡しています。私が取り組む再生医療の前身である発生学の分野に関わる名だたる多くの研究者の方々を叔父は支援していましたが、当社の大学や研究機関との連携には、このような先生方とのご縁が活かされており、不思議な運命の巡りあわせを感じます。
振り返ると、少年時代からの生物への興味が、生物由来資源の活用への関心へとつながり、叔父が残してくれたネットワークや自身で選択した東京大学医科学研究所での研究員時代の信頼関係が、現在のアカデミアとの共同研究につながっていることなど、これまでの人生の点と点のすべてがまっすぐにつながり、再生・細胞治療の取り組みに至っています。これまでのすべてがあたかも私の進むべき道を示すようにつながっているのです。
へその緒などの周産期産物収集への協力を呼びかける
-今後の課題は何でしょうか?
実は、ヒューマンライフコードの、コードにはつなぐという意味が込められており、この会社が生まれる背景となった人々の繋がりや、健康な赤ちゃんから授かるへその緒などの細胞を、多くの患者さんの病気を治すために繋いでいくという当社のミッションを意味しています。
今後、再生・細胞治療の本格的な普及が予想される中、幹細胞の入手はますます重要になります。一方、現在、産科院ではへその緒など周産期産物は不要物として廃棄されています。私どもは、供給量に制約のある骨髄由来の幹細胞に代わり、廃棄されているものを大きな価値を持った生物由来資源として利活用することを進めておりますので、周産期産物の入手のためにも産科院の理解と協力が必要です。産科院から周産期産物を入手する体制の構築は当社の事業の柱のひとつですので、産科院へ広く啓発を図ることを検討してまいります。
もちろん、産科院だけでなく、最終的に同意をえるためには妊婦さんなど一般の方々の理解と協力が不可欠です。今まで廃棄していた自分の生命体(肉体・細胞)の一部が医療に役立つこと、家族や親しい人たちを含む多くの人たちを救う価値をもっていることを伝えていきたいですね。特に今後母親となる方々や、妊婦さんといった皆様へご理解いただきいと思っています。
<プロフィール>
原田 雅充(はらた まさみつ)
1972年8月29日生。1996年、旧通産省工業技術院生命工学工業技術研究所でヒト血管内皮細胞の増殖機構に関する研究、1998年、岐阜大学大学院農学研究科生物資源利用学修士課程修了。2004年、東京大学医科学研究所分子療法研究分野で難治性血液がんに対する新規DDS(薬物送達システム)研究にて国際血液学会にて登壇、血液一流雑誌に論文掲載。1998年より日本化薬(株)及びアムジェン(株)にて、複数領域の臨床開発業務に従事し、C型肝炎治療薬の承認取得。2007年にセルジーン(株)に入社し、マーケティングマネジャー、メディカルアフェアーズ部シニアマネジャーとして自社販売体制の構築及び血液がん治療薬上市の成功を導いた。その後、臨床開発統括部長(ディレクター)として複数の開発プログラムのマネジメントに携わる。
2014年、経営者を目指し単身渡米、ニューヨークにてMBAを取得。帰国後
2015年、シンバイオ製薬(株)執行役員CBO(Chief Business Officer)・営業・マーケティング本部本部長を経て、2017年、ヒューマンライフコード株式会社を創業、現在に至る。早稲田大学理工学部招聘研究員や名古屋大学大学院医学系研究科老年科学 非常勤講師を兼任。一般社団法人日米協会会員。愛知県名古屋市出身。趣味はテニス、ボクササイズ、読書、映画鑑賞。
ヒューマンライフコード株式会社
(英名:Human Life CORD Inc.)
設立:2017年4月5日
所在地本社:〒100-0011 東京都千代田区内幸町2丁目2番2号 富国生命ビル15階
日本橋支店:〒103-0023 東京都中央区日本橋本町3丁目8番3号 東硝ビル8階
代表者:代表取締役社長 原田 雅充
事業内容:国産再生医療等製品及び医療機器の研究開発・製造・販売
資本金等:117,000,000円(2019年4月5日時点)
http://www.humanlifecord.com/