「着る、筋肉」マッスルスーツに見る大学発ベンチャーの成功パターンとは?イノフィスCEO古川尚史氏
東京理科大学の小林宏教授が開発した「マッスルスーツ」は常識を覆す革新的な装着型の作業支援ロボット(アシストスーツ)だ。従来のアシストスーツと言えば先端技術とメカの力を借りて人体のパワーアップを図るもの。一方、マッスルスーツは空気とゴムの力学で人工筋肉を動かすという極めてシンプルな技術設計のため、電源も不要だ。ゆえに利用できる現場が多岐にわたり人手不足に悩む介護・工場・農業・建設・倉庫など重労働の3Kといわれる現場から絶大なる支持がある。とはいえ、良い商品が必ずしも売れないのがマーケティングの世界。かくしてイノフィスは経営危機に直面する。そんな状況下でバトンを引き継いだのが現代表の古川氏だ。日銀出身の企業再生請負人という異色の経歴を持つ古川尚史氏は、「大学発ベンチャー成功の要諦は経営と研究開発の明確な役割分担にある」と指摘する。そんな古川氏が存続の危機に瀕していたプロダクトを一転、飛ぶように売れる商品に変貌させた再起のマーケティング手法と大学発ベンチャー経営の成功パターンを聞いた。
マッスルスーツはどのように生み出されたのか?
―はじめに事業内容をお聞かせください。
当社は、東京理科大学の小林教授が重労働の介護や製造業の現場の声にもとづき開発した「着る、筋肉」マッスルスーツを製造販売している大学発ベンチャー企業です。
介護福祉サービスはもとより、製造業、物流業、建設業、農業など、さまざまな業種で導入され、腰痛発生の予防、労働環境改善や人手不足対策に貢献しています。
―開発の経緯をお聞かせいただけますか?
小林教授は、ヒューマンインタフェースやAIの研究が専門でしたが、人を支えるロボットの開発を始められます。当初は腕の補助をするロボットを開発していたのですが、工場などで試していただいた際に腰補助への必要性に気づき、腕から腰へとフォーカスを転換しました。その後、介護事業者の方から、腰の負担を軽くするロボットができないかとの相談が舞い込んできたのだそうです。
介護の現場では、体の不自由な高齢者の方をベッドから車いすに乗せ換えたり、訪問入浴介護の場合は、介護スタッフが高齢者を抱えて浴槽に移動させてから入浴させるなど大変な重労働が伴います。そのため介護スタッフは皆さん腰痛を患い、働きたいのに退職を余儀なくされてしまっていたのです。そこで、何とか介護スタッフの方が定年まで働けるようにしてほしいという現場の切実な要望に基づき小林教授が開発したのが、このマッスルスーツなのです。
少子超高齢化社会では、建設・製造・運輸・農業などの人手不足はますます深刻化しています。特に地方の人手不足は深刻で、賃金が高く重労働がないサービス業に労働力が流入し、重労働作業の現場には賃金を上げても人が戻ってこないというのが現実です。労働者はますます高齢化し、年々退職者も増加する一方。もはやこうした現場は、重労働作業をもっと楽にしていくという根本的な問題解決を図ることで人を呼び戻す必要があります。マッスルスーツは、こうした重労働が必要な現場の負担を軽くして、楽に働くことができるようにするアシストスーツで、多くの現場で利用されています。私たちの技術はこの様に人手不足の解消にも貢献しているのです。
究極の二択。このまま会社を解散するか、増資をしてビジネス化するか
―古川さんはどのような経緯で当社のCEOに就任されたのですか?
私はもともとは日本銀行の調査部で経済論文を執筆するような仕事をしていました。当時は様々な統計データをもとに金融市場の動向をマクロ的に見ていたこともあり、私自身が次第に実体経済や現実社会とかけ離れていくことに違和感を感じるようになっていました。そのような気づきを得てからというもの、私は自分でビジネスを興して社会の役に立ちたいという想いが日増しに強くなり、遂に日本銀行を退職することにしたのです。
しかし、私は当時、ビジネスのビの字も知りませんでしたので、まずはボストンコンサルティンググループに入社してコンサルティング業務を3年弱ほど学びました。その後、知人からの紹介もあり、まず不動産投資ファンドの代表として起業することにしました。幸いにもそのファンドは投資を早期に回収し、償還することができましたので、プロジェクト終了後は、個人事業主としてチョコレートショップやイタリアンバーなど様々な事業を手掛けていました。
そんなとき、知り合いの弁護士からの紹介であるバイオベンチャーのCFOに招聘されたのです。しかしその会社は倒産寸前の会社で、入社まもなく私が再生計画を策定して、リストラの先頭にたって大ナタを振わざるを得ませんでした。かろうじて会社を持ちこたえさせ、その後は何とかシンガポール市場に上場できるところまで会社を立て直すことができました。
こうした経験がありましたので、その後、株式会社経営共創基盤という民間版産業再生機構のような会社に転じ、ハンズオンチームとして支援先の経営者と二人三脚で経営を立て直す企業再生請負人のような仕事をしていました。
大変やりがいのある仕事ではありましたが、数多くの企業再生の支援をする中で、次第に企業再生は本当に社会の役に立つのだろうか?と疑問を抱くようになりました。自分は未来に貢献できるイノベーションを起こすような企業を支援したい。そのような企業に自分を捧げ、自分が世の中を変えたという実感が持てる人生のほうが意味があるのではないかと考えて、人材紹介会社からの紹介で当社の門戸を叩いたのです。
なぜなら、小林教授が現場の声に応えるために開発した素晴らしいマッスルスーツという製品がありました。これまでのアシストスーツのように数千万円もの投資を必要とせず、しかも電気やモーターなど動力源も使わず、空気とゴムだけで体を支えることができ、実際に使っている方は大変満足している。現実に困っている人の役に立っている。でも残念ながら価格が当時は1台80万円もしていたのでほとんど売れていなかった。
この産学連携のジレンマとも言うべき市場とのギャップを解消しないと、世界中のマッスルスーツを必要としている人にとってちゃんと価値を届けられないのは、本当に勿体ないと思ったのです。そこで、ぜひ私にやらせてほしいと小林教授と主要な株主に直談判して当社の代表を引き受けることにしたのです。
―マッスルスーツの価値を社会に正しく伝えるために事業を引き継ぐという決断をされたのですね。
その通りです。しかし、今でこそ当社は順調に行っているよう見えるかもしれませんが、私が社長に就任した当時、今から2年半ほど前はまさに倒産寸前の状態でした。当初開発した商品が売れず、早晩資金が底をつくのが目に見えていたのです。
この時「素晴らしい技術が開発できた会社があったでよしとするか」「売れる商品を開発と増資を行い事業継続するか」、選択肢は2つしかありませんでした。
小林先生とはひざ詰めで話をし、様々なアクションをとり、結果として、後者を選択することになっていきました。そして、小林先生には開発を担当いただき、私がそれ以外の資金調達、製造、販売など全般を見るという役割を明確にすることになりました。いわば現代版藤子不二雄ABのようなものかもしれません(笑)
売れなかった商品を、いかに業界No.1シェアの大ヒット商品に仕立てたのか?
―CEOに就任されて以降、それまで売れなかったマッスルスーツを、どのようにして爆発的なヒット商品に仕立てたのですか?
まずは適切な販売価格帯を設定するところからはじめました。私たちが目指していたマッスルスーツは、車で言えば高級車ではなく使い勝手の良い軽自動車のようなものです。そのため、これまで80万円もしていた製品を改良し、家電の様に一般の方がお店で普通に買える10万円台にすることに決めたのです。
次に、この価格帯で販売できるように、商品の改良、製造方法の変更、販売ルートの確立など、すべてのマーケティングプロセスを見直しました。
開発当初のマッスルスーツは、本体に空気を入れる際にエアコンプレッサーなどの機材を用いて注入する方式だったのですが、手動のポンプを使って高齢者や女性の方でも片手で空気を入れられるように改良はされていたものの、まだ、重くて、高いと言われていました。商品の改良については、コストダウンをしながら、補助力を落とさずに軽量化を実現するという機能アップをはかりました。
次に製造方法は、試作品メーカーでの製造から量産メーカーに切り替えました。金型を自社で保有することで、量産メーカーにとってのリスクを軽減し、かつ、製造コストの削減にも成功しました。次に販売体制ですが、販売店を60社体制に拡充し、販売ルートもビッグカメラなどの量販店やホームセンターを含めた市販ルートを開拓しました。さらに自社でネット直販も開始し、誰でもどこでも手軽に購入できるチャネルで販売できるようにしたのです。
こうした条件が揃ったタイミングで、2019年11月にダウンタウンの浜田さんにイメージキャラクターとして登場いただき大々的にTVCMやYoutubeでプロモーションを行ないました。その結果、平均販売台数で月間50台だったところ、何と月間2,000台も売れるようになりました。
―なるほど。では当初マッスルスーツが売れなかった要因についてはどのように分析されていますか?
一言で言えば、経済合理性がなかったのです。つまり、必要としている方が買える価格ではなかったというシンプルな理由です。マッスルスーツは必ずしも最先端技術ではないかもしれないけれども、現場の問題を解決できるという非常に素晴らしい製品でした。でも欲しい人が買える値段でないのでは最終的に人の役に立つことができない。であれば、何とか必要とする人が買える製品を作るしかなかったのです。
大学発ベンチャーの多くは、車で言えば燃料電池自動車のような製品を作っているようなものです。最先端の技術を用いた高機能製品で、水素と酸素で動き、排出するのは水だけ、二酸化炭素も排気ガスもないという画期的な製品です。しかし大変高価であり実際には販売台数は限定的です。片や軽自動車は、燃料電池自動車のような技術的な高性能ではありませんが使い勝手がよく手ごろな価格で数百万台も売れています。私たちが目指していたのはこの軽自動車であり、おのずと手の届きやすい価格帯の製品を作る必要があったのです。
―このような大胆なビジネスプロセスの再構築が実現できた理由は、どのような点にあるとお考えですか?
企業経営と研究開発の明確な役割分担ができたことがポイントだと思います。
大学発ベンチャーは大学の先生がフロントに立たれるケースが多いと思います。しかし、そもそも先生方は、一国一城の主として研究室を経営されています。その上、大学発ベンチャー企業だからといって、研究室のマネジメントをしている傍らで別会社の開発、製造、販売、管理までやれというのは24時間以上働けと言われているようなもので、そもそも物理的に不可能なのです。
この現状を正しく理解すれば、大学発ベンチャーは大学の先生と私のような立場の人とが明確な役割分担のもとで経営をしていくのが必然だと思うのです。
現代の藤子不二雄ABの二人三脚で大学発のシーズをビジネスとして社会に広める
―御社の今後の展開についてお聞かせください。
まず、当面はマッスルスーツの累計販売台数で1万台を突破することを目標(2020年2月取材当時、2020年3月2日に累計1万台を突破)にしています。現在、月間2,000台の販売を記録していますので、そう遠くないタイミングで実現することができるでしょう。
次には、マッスルスーツの技術を応用したリハビリロボットの開発にも着手しています。
ある病気で2か月間、寝たきりだった100歳のおばあちゃんの事例ですがベッドで寝たきりの生活となり、足の筋肉がすっかり弱くなってしまい歩行器を使わないと歩けなくなくなってしまっていました。そこで、開発中のリハビリロボットのスクワット運動ができる補助機能を使ってトレーニングしたところ、足の筋肉が回復し、退院時には以前と同じように歩けるようにまで早期に回復することができたのです。
また、脳梗塞などによる半身不随で支えなしでは立ち上がりができないなど不便な生活を余儀なくされていた方の場合、このリハビリロボットを活用して、支えなしに自分で立ち上がることもできるようになったのです。
このようにマッスルスーツの技術を応用したリハビリロボットは、歩けなくなっているようなお困りの方を補助し、自立を支援することができるのです。
さらには、マッスルスーツがそうであったように、大学発ベンチャーで開発され、まだ日の目を見ていない埋もれた技術、シーズを発掘し、社会に広めるような事業も構想しています。こうした素晴らしい製品や技術シーズが持つ本来の価値を正しく社会に伝えることができれば、もっと多くの困っている人を助けることができるのではないかと思うのです。
ー現場の問題を解決できる日本の大学発ベンチャーの技術が世界中に広まることを期待しています。本日はありがとうございました。
<プロフィール>
古川 尚史(ふるかわ・たかし)
株式会社イノフィス代表取締役社長 執行役員 CEO
東京大学工学部学士、東京大学経済系修士課程修了。日本銀行、ボストンコンサルティンググループでの勤務後、不動産投資ベンチャー企業を創業。その後、経営共創基盤ディレクター、サンバイオ株式会社執行役員を経て、2017年12月、当社代表取締役に就任。
株式会社イノフィス
https://innophys.jp/
所在地:〒162-0825 東京都新宿区神楽坂4-2-2 東京理科大学 森戸記念館3階
設立:2013年12月27日
創業者:小林 宏(東京理科大学教授)
代表者:古川 尚史
資本金等:4,941百万円(資本準備金を含む)
主な事業:
介護福祉機器の開発、設計、製造、販売
産業用特殊機器の開発、設計、製造、販売
機器開発技術シーズの発掘および事業化コンサルティング
機器開発技術シーズの知財取得・維持・管理
製品の認証取得・維持・管理
夢のようなロボットではなく、人のためのロボットに。