2021年11月29日(月)0ブックマーク

IPO協会轟(とどろき)加藤広晃代表に聞く~IPOスコアリングで上場確度を可視化、IPO発明による進化は無限

経営ハッカー編集部
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日本では毎年新規設立法人が10万社ほど産まれるが、年間のIPO数で言うと100社程度の狭き門だ。しかしながら、社会の問題解決ができる可能性のある企業を中心に国内企業の健全な上場が20%増えれば、日本経済の活性化が最も具体的に果たせるのではないか。ところが上場を目指すにあたり、取引所上場への形式基準はオープンになっているが、期待される経営管理体制を構築するための組織設計や優先順位のつけ方、いつ、何を、どこまでに準備すれば良いのかは門外漢にはわかりづらい。このような問題意識をもつ、IPO協会轟一般社団法人代表の加藤広晃氏は、東証単独と東証福証重複上場を過去最年少で上場責任者として2社導いた経験を持つ。世界で初めて、稀少な経験と豊富な知見をもとに、上場確度を可視化し、評価できるスコアリングの仕組みを構築した。今回、当法人設立の背景、活動内容や今後の展望について話を聞いた。

 

目次

    IPOとの関わり

    ― IPOというものを意識されはじめた経緯について教えてください。

    1990年台からパソコンを使い始め、2000年にはwebページを作成し、インターネットにより世界が一つになる可能性に時めいた高校時代を送っていました。海外やインターネットを使った起業に関心があった私は、一橋大学に在籍していた2003年、インターネットビジネスの最先端だったシリコンバレーに留学する機会を得ました。当時はGAFAの勃興期でもあり、現地で起業して間もない頃のGoogleやFacebookといったプロダクトに出会ったのです。Gmailも始まったばかりで、招待制だったような時代です。インターネットでベンチャーがどんどんと生まれていき、一つのゴールとしてのIPOがある。そのIPOという出口が、実はパブリックに株式を売買できるようになる資本市場の入り口でもあるのだということを知りました。

    ― IPOのイメージはその後どのように鮮明になっていったのでしょうか?

    一橋大学のゼミで師事していた伊藤邦雄先生の存在が大きかったですね。先生は、1980年台のスタンフォード大学での経験等から日本でのストック・オプション税制導入や、日本に連結の概念が無い時代に国際的な連結会計の概念を日本で啓蒙されるなど、一学者の枠を超えて日本の資本市場や経営管理の進化を牽引された方で、会計というグローバルで共通する「数字」の持つポテンシャルや、上場企業の経営管理のあり方や基礎を学びました。大学では、キャリアデザイン委員会という活動を通じて講演企画に携わったりしていました。その過程で一橋OBの楽天の三木谷さんを間近に感じながら、日本でもインターネットが盛り上がり始めて、この頃にようやく日本でもIPOという手段がベンチャー企業の一つの達成点になるという認識が朧気ながらでき始めていたように思います。

    ― ベンチャー企業との関わりはどのように発展していかれましたか?

    そういった背景もあって、上場企業の数字にまつわる仕事と世界やインターネット、起業に近い仕事を漠然と見据えながら、会計士となり、当時はDeloitte Touche Tohmatsuと海軍軍人で創設者の等松氏の名前が残り、グローバルプレゼンスが高く、IPOにも強かった監査法人トーマツを選びました。入社して5年半の間で、会社の全体像を数字とビジネスで把握しやすい規模の上場企業(従業員数で100名~1000名規模)を中心に、累計20社程度を担当させていただきました。基本的には上場企業の監査が中心ですが、当時IPOの監査業務で従事していた会社を振り返ると、今では2社が上場しています。

     

    スタートアップ企業での2度のIPO統括経験

    ― なぜ、会計士から今度はプレイヤーであるスタートアップ企業の側へと転身されたのでしょうか。

    会計士試験合格後、実際に監査に触れてみると、不正を疑う「職業的懐疑心」という資質が常に求められるなど、会社の競争優位や企業価値向上というよりは財務報告の何が間違っているかを分解していくような仕事が中心でした。ゼロから何かを創り出していくような仕事ではないのです。監査法人にいた当時は、予めそういう仕事とわかっていたとはいえ、自分が批判をする側で、安全地帯にいて本当にこれが人生でやりたかったことなのか、という違和感も湧いてきました。

    そんな中、とある勉強会で一緒だった方に、「一度会ってみないか」と背中を押され、メタップス佐藤さん(当時の社長)と、山﨑さん(当時の管理管掌取締役)とお会いすることにしたのです。いろいろお話を伺う中で、この二人がいるなら絶対上場できるはずと直感し、IPO責任者としてジョインしました。

    ところが、IPO準備企業を監査する側の仕事やベンチャーサポートとして経営計画立案の支援は経験していたものの、実際に自分自身が事業会社の中に入って周囲を巻き込んでIPOに向けて取り組んでいくのは全く未知の領域でした。まさか日々発生する1つの1つの仕訳の承認にこれほどエネルギーを要するとは思いませんでした。監査はサンプリングを基礎とするので、一部が間違っていると全体が間違っているという推論をするので責任は限定的ですが、当事者として一つ一つの仕訳を、会社で起きている経済的事象として全てに責任を持てるかとなると、勝手が違うというわけです。

    IPO責任者の経営管理部長として、世界8拠点の統括として、国内外の労務も、法務も、情シスも、総務も理想像を追究し続けながらのIPO準備で、最終的には無事IPOをスケジュール通り、2年後にオンタイムで実現できたのが2015年8月でした。

    ―2社目に移られたのはどのようなきっかけだったのでしょうか。

    上場という一つの大きな節目を超えたメタップスでは、その後クロスボーダーM&AのPMIや国際会計基準(IFRS)の導入を執行役員として進めていました。取締役会や経営会議で様々な意思決定や議論を前に、上場企業の取締役と意思決定の説明責任のあり方を模索するようになりました。そんな中、ポート社の副社長丸山さんと出会い、取締役が果たす役割や責任を議論したり、上場を目指すための助言をしたり、社長と話したりしました。一年が経ったくらいの時期でしょうか、取締役として今度は実務ではなく監督の立場から上場を導いて欲しいと話があり、20代起業家で春日社長の突出したコミットメントなら上場可能性があるのではないか、この可能性が対外的に伝わっていないならばその差分が私の人生の時間を賭ける価値ではないか、と考え、そんな経緯でIPOを目指すポートに取締役として就任することとなったのです。

    ―2度のIPOの中で見えるようになった景色について教えてください。

    一度責任者として統率したことがあるIPOだから二度目は効率的に進められるだろうと考えていたのですが、実際はそうではありませんでした。1度目は経営管理部長としての実務でしたが、2度目は監督機能が期待される取締役です。

    実際就任してみると、徐々に監督する方が難しいことが分かってきました。直接手を動かし過ぎると組織上、部下が成長する機会を阻害するし、必要な水準までレベルアップしなければ株主が期待するスケジュールに間に合わない。1社目の実務責任者、2社目の取締役との間で差分が見えていきました。X軸、Y軸で座標をとり、この二つの点を線で繋ぐと、当事者としてのIPOの方程式が朧気ながら浮かんできたのです。

    ―ポート社の取締役を務めながら、会計事務所の代表でもありましたね。

    はい、1度目のIPOを終えてから、年平均100人しか産まれないIPO責任者としての稀少な経験を再現性の向上という形で社会に還元したいと思うようになりました。経営者からIPOに挑戦したいとか、若手の会計士がCFOに就任したもののCFOとしてどういう資質を備えたほうがいいかとか、IPO統率経験がある加藤さんからアドバイスしてほしいという依頼が結構くるようになりました。当時は公認会計士登録していたので、個人的に月数時間アドバイスするくらいだったらという形で引き受けました。

    他の会社のIPOのアドバイスをしていくうちに、だんだんとIPOの方程式構想が鮮明になっていきました。1社目は、100%全力で取り組まないとIPOも経営管理も後悔があるかもしれないと考えていましたし、実際それで後悔がありませんでした。2社目は、監督機能と社会全体のIPOを増やすために少しの時間を割いていました。他に、海外の証券取引所でIPO講義や公認会計士協会の委員としての活動も公務として行っていました。

     

    IPO協会 轟 の立ち上げに込めた想い

    ― 個人事務所としてのアドバイスの次のステップとして、IPO協会 轟 を設立されたということでしょうか。

    いえ、コロナがなければIPO協会轟を立ち上げようとは思っていませんでした。こんなに急激にいろんな会社が潰れてしまうのかと痛感しましたし、予測のつかない社会が到来したなと。

    コロナが起きて自分の会社がどうなるかという時に、世の中のマクロを読んで外部環境の変化を捉えて成長可能性を第三者に説明するのはハードルが高いですよね。実際、上場承認されていた会社がコロナ後にどんどん取り下げになっていきました。上場承認されても、世界や日本の資本市場の動向により、機関投資家・個人投資家の値付けや購買意欲が減退すれば、上場は成立しないわけです。そんな中、36歳で、東証、東証&福証で2社IPO責任者を経験した者は私しかいない。今立ち上がろうと思ったわけです。

    ポート取締役を任期満了まで務め、そこからはアドバイザリー的にサポートしつつ、IPO協会轟を立ち上げました。キーワードは再現性と言語化です。再現性とは一度やったことを、誰がやっても、もう一度できるかどうかであり、言語化とは、直感的なものや暗黙知となっていることを言葉にしていくことで、認識を共有し、再現率を上げていくことです。例えば、負け犬、キャッシュカウといった用語をボストンコンサルティンググループがフレームワーク(PPM)として表現したように、新たな表現やフレームワークにより企業間の議論を円滑化することで、理解の促進と成功体験の再現性を高めていこうと考えました。

    ― なぜ一般社団にしようと思ったのでしょうか。

    非営利で中立にしたかったからです。株式会社では営利性から、配当や資本の割合に応じた議決権がある一方で、一般社団法人にすると解散しない限りは分配されません。したがって、働いた分しか報酬をもらえないのです。上場する株式会社はお金を投資し、儲かったら投資家に分配しますが、IPO協会轟は成長資金が必要ないですし、資本家と経営者を分ける必要もありません。既存のプレイヤーを尊重しながら、自分にしか出せないバリューで対価をいただき、他の方にできることは、スコアを高めるとしてご紹介しましょうという方向性を見据えています。

    ― IPO協会 轟 の理念を教えていただけますでしょうか。

    「IPO発明による進化は、自由で多様性があり、無限性がある。」を理念に掲げています。これまでの人生で、IPOという仕組みに魅せられてきた私ですが、IPOがなければ、アイデアと熱意はあれども、お金が無い人間が何かを成し遂げたいと思った時に、凄く時間がかかり、結局一生かけても成し遂げられないことが多いと考えています。

    例えば、私たちの30~40年先の年金が、株式での運用を通じて投資されていき、その株式に議決権のパワーがある。その資金を獲て、何かを興したいと思う起業家が株式を上場する。上場するとその後も半永久的に生き続けるという仕組みがある。だからこそ人類は、飛行機、電子機器などを創出でき、社会が発展していく。戦後ベンチャーと言われたソニーもアメリカのADRやNYSE上場を活用して成長のドライバーとしました。

    この仕組みが健全にワークし続ける限りは間違いなく人類の進化に寄与するものとなる。今はESGを通した進化になると思いますが、とにかく私にとっては人生をかけてやろうと思うくらいの大きな可能性を感じたということです。そのIPOする企業が増大していくための基盤をつくるためにはまずは、可視化を広げてお互いにwin-winを創り出していこうという結論に至りました。

    ― その可視化というテーマで、活動内容について教えてください。

    まず、上場確度をスコアリング点数化しました。世界で初めて上場確度を可視化です。ウェブサイト上に、サンプルぺージを載せていますが、10市場×4フェーズで質問を少しずつ変えて、三択で答えていくと、結果がでてきて、A~Eのランクが判定されます。(IPO Todoroki Score todorok-evolution.jp

    なぜこれをやったかというと、IPOのために、これこれが必要ですという情報は巷にあふれていますが、いつのタイミングで、何が必要なのかということが曖昧になっていると感じたからです。取引所の審査だけではなくて、当事者の側面からしか見えないものも見えてきたので、今までにない新しい機能や体制評価の視点を持つことで、より椅子取りゲームにならず、上場したい企業が一歩ずつ確実にIPOに向けて上っていくような構図へと変化させたいと考えています。

    概ねN-1の上場直前期で、80点出ていれば半分以上は上場できるだろうという水準を目指しています。質問の一例としては、監査役が機関投資家と1on1でミーティングができるというのが三択の最高で、監査役がKPIをプレゼンできるというのが次のレベルです。コーポレートガバナンス・コードの期待として直近改正で織り込まれたのが「投資家対話」であるように、プライム市場を狙うならこのレベルの監査役が期待されますが、上場確度としては誰かが明示しているわけではなくて、自ら取締役会や経営会議、指名・報酬委員会の運営から培ったものも含めて開発したものでもあります。自分で立ち上げ自分の頭で当事者として経営判断をしてきた経験と理論的なアプローチの集大成です。もちろん、そこに留まることなく、世界の上場企業の経営管理や関連法規の動向やガバナンスの在り方と共に最年少として見た景色の再現性表現を日々探求しつづけないといけないと考えています。

     

    今後の展望とビジョン

    書籍でもIPOの普及活動を行う

    ― 今後創りたい世界像について教えてください。

    1990年以降ITバブルがあったときは日本で年間200社上場し、一方で、リーマンショック時には20社しか上場しませんでした。2021年は、100社を超えそうですが、歴史的に見てベンチャーキャピタルが増え、資金調達の環境が改善されてきた中で、IPOも少しずつ地殻変動が起きているなと捉えています。

    IPOってみんなハッピーになれる、希少なイベントです。これを底上げするためには、上場確度の可視化を通じて、拳を握り締め、経営者が上場を決意したら、こんなステップを踏んでIPOすれば良いのだというイメージがクリアにみえることが必要だと考えています。IPOすると、市場からも厳しい叱咤激励を受けます。しかし、それは期待されている証とも言えます。これだけリーダーシップを取る側にとって大変な時代なのですから、リスクを取って社会のために挑戦する気概がある人を応援する人で溢れた世の中にしていきたいです。

     

     

    <プロフィール>
    加藤 広晃(かとう・ひろあき)

    一橋大学商学部卒業。
    2007年 公認会計士試験合格後、監査法人入所、IPO&VC監査、IFRSアドバイザリー、価値算定業務等に従事。
    2013年 広告系IT企業に上場責任者として入社、海外売上比率50%超 世界8拠点の経営管理体制構築と共に2015年、東証マザーズ上場を実現。上場後は経理財務執行役員としてクロスボーダーM&AのPMIやIFRS適用を牽引。
    2017年 メディア系IT企業に入社後、取締役就任。
    2018年12月 東証マザーズ&福証Q-board重複上場を実現。
    2021年 IPO協会 轟 一般社団法人 設立、代表理事就任。

    共著に「IPOをめざす起業のしかた・経営のポイントいちばん最初に読む本」(2020年9月 アニモ出版)

    IPO協会 轟 一般社団法人
    https://www.todorok-evolution.jp/

    所在地:東京都渋谷区神宮前三丁目27-15 FLAG 3J
    設立日:2021年2月12日
    代表理事:加藤 広晃
    事業内容:IPOに関する普及啓蒙、経営管理に関する研究及び研修

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