社会起業家ほどビジネスにシビアになろう ~自己犠牲だけでは社会貢献ができない理由~
NPOや一般社団法人、公益法人あるいは個人事業として社会起業を行う人が増えています。社会起業とは通常の営利目的の株式会社などの起業と異なり、環境や貧困、子どもの虐待やDVなどといった社会問題の解決を目的とし、社会貢献を行うための起業のことです。
当然、利益を伴わない社会的事業が中心となります。収益事業を行うこともありますが、そこで生み出された利益は社会貢献の活動に使われることがほとんどです。
「社会起業は世の中をよくするためのもの。お金なんてなくていいし、どうにかなる」 「社会起業はよいことだが、お金とか利益追求はえげつないこと」
…もしそんな気持ちで社会起業を考えているのならば、いったん踏みとどまってください。社会貢献は、営利目的のビジネスよりもはるかにビジネスマインドが必要とされるのです。
社会起業は営利企業以上にリスキー。「運営そのものが課題」が4割強
東京商工リサーチの統計によれば、2016年4月から9月までの間における老人福祉・介護事業の倒産件数が前年同期の2倍増の62件となりました。老人介護ビジネスは、NPOの形態をとることが珍しくありません。さらに、NPO法人が行政に望む改善でもっとも多いのが「資金援助(60%前後)」、「活動場所の低廉・無償提供(55%前後)」となっています。また、NPO法人の課題となっているのは、「人材の確保・教育(70%超)」、「収入源の多様化(53%~65%超)」、「法人の事業運営力の向上(45%前後)」となっています。
一般に、起業した会社が10年続く確率は10%とも5%とも言われています。つまり、営利企業でさえも、維持していくのが困難です。しかし、営利企業で「事業運営が困難」という話はあまり聞きません。なぜなら、多くの営利目的の起業家の場合、「利益を生み出せない=倒産」というイメージが最初から強くあるため、事務手続きや利益を生む仕組み作りなど、事業運営のベースをきちっと整えるのがもはや当たり前となっているからです。
しかし、社会起業の場合、目的が利益ではなく「社会貢献」です。そのため、お金に無頓着になる傾向が営利目的ビジネスより高いのです。お金に無頓着でいると、事業の見通しやリスク管理が甘くなります。
起こり得るリスクと対処法をシビアに考えないため、「良いことをしていれば、自然とボランティアも寄付も集まる」、「いざとなったら自腹を切ればいい」と、地に足のつかない姿勢で社会事業運営を行うことになります。結果、「お金がない」、「常時仕事をしてくれる人材がいない」、「運営の仕組みがずさん」という事態に陥り、事業の継続が難しくなるのです。
リスク管理の甘さの根底には「自己犠牲」がある
社会貢献事業の継続が難しくなってしまう過程のベースにあるものは何でしょうか。それは、起業家の自己犠牲的なマインドです。「企業は社長以上の器になれない」とよく言いますが、これは社会起業にも当てはまります。NPOや一般社団法人など、どのような形態をとったにせよ、その団体の性格は、代表者の姿勢を如実に表すのです。
社会貢献をする人の多くが、もともと「世の中をよくしたい」という意識を持っていて、ボランティアなどで社会活動を行ってきた経験の持ち主です。ボランティア活動とは、対価をもらわず、自らの時間と労力を犠牲にして貢献する活動をいいます。
一般的に、人間は自分の時間や労力を提供した場合、自然と見返りが欲しくなります。そして多くの場合、見返りに「お金」を求めます。お金は利用価値が高くて融通が利き、自分の生命維持や本能的な欲求を満たすのにもっとも役立つからです。
しかし、このボランティア活動の場合、見返りに求めるのは「世の中を変えられるかもしれない期待」と「世間からの感謝や評価」です。見方を変えれば、「世の中を期待通りにコントロールしたり、世間から認めてもらえたりするならば、自分自身の生命や欲求を犠牲してもいい」という気持ちがあるからこそ、ボランティア活動が行えるのだとも言えます。
社会貢献を大きくしたいのならば、お金の問題は避けて通れない
この自己犠牲的な姿勢は、一人のボランティアとして活動するならば何も問われません。個人の問題だからです。
しかし、多くの人を巻き込み、多大な影響力を与える団体として活動するのならば、非常に問題です。なぜなら、お金の管理や仕組みなしに動く団体はひとつとしてないからです。
団体という組織である以上、税金がかかります。また、場所代にもお金がかかります。活動の管理や事務処理には人手が必要です。活動を維持したいと考えるならば、いついなくなるか分からないボランティアではなく、対価を払って定期的に管理してくれる人間を雇わなくてはなりません。また、広報活動や情報収集にはPCや通信機器などが必要です。これにも当然お金がかかります。
つまり、本当に社会起業を軌道に乗せたいのならば、お金というテーマは避けて通ることができません。むしろ、メインの活動そのものが利益を生まないので、営利事業以上に収益活動にシビアになる必要があります。
社会起業家の中には、寄附収入をアテにする人も少なくありませんが、現実には、寄附は他人の胸先三寸で決まるものであり、起業家がコントロールできるものではありません。コントロール可能な収益源を確保するのならば、不動産賃貸など自動的にお金が入ってくる仕組み、活動そのもののアピールにもなるグッズ販売やイベント事業などで自らお金を稼がなくてはいけないのです。
お金は組織の「血液」です。お金の問題を疎かにしたら、組織という「身体」は、どこかで壊死して腐ってしまいます。そして、組織の在り方は代表者の意識や姿勢がそのまま表れます。代表者が組織の運営を決定するからです。つまり、代表者自身が、一ボランティア時代の自己犠牲マインドを手放し、事業運営のお金にコミットメントしないと、あっという間に事業はつぶれてしまうのです。
自己犠牲をやめるには、批判を受け入れる覚悟をすること
社会起業家の多くは、自己犠牲的です。自己犠牲的な人は、言い換えると「いい人」です。いい人は周囲の要求にいつも応じ、イヤなことがあっても我慢強く耐え、自分の欲求や願望は常に二の次にしてしまいます。そしてお金が必要であることはうすうす感じながらも、「稼ぐ」、「お金が欲しい」という欲求を生々しくみっともないことだと感じ、表に出そうとしません。自己犠牲は一見美徳に見えますが、批判を受けたくないという個人のエゴが根底にあるため、実は活動の代表者としては無責任なのです。
なぜ、自分を抑圧してでも周囲の要求に応えるのでしょうか。それは、周囲の期待に応えられなかったり、自分の本能的な欲求を主張したりすることで、周囲の人が自分を批判したり、離れていったりするのではないかと恐れているからです。この姿勢を続ければ、活動を続けていても孤独感を味わうことはないかもしれません。けれど、組織そのものの維持や拡大は確実に難しくなります。
心から「社会貢献をしたい」、「今ある社会事業を広く、長くやっていきたい」と思うのならば、批判や離反を受け入れる覚悟をしましょう。覚悟をすれば、自分の取った行動に対する責任も取れるようになります。
冷静に考えてみてください。誰にでも100%受け入れてもらうことは現実的に不可能ですよね。周囲のいいなりになるいい人をしていても、ビジネスにシビアになってお金にガツガツしても、自分を嫌う人は必ずいます。同時に、自分を好きになってくれる人も必ず現れます。だとすれば、社会貢献を現実に効果あるものにしたい場合、周囲からの批判や離反が生じることを受け入れて、その活動を建設的に行うための行動や姿勢をとったほうが近道なのです。
批判を受け入れる覚悟ができたとき、はじめて「活動の代表者」として、社会貢献をよりよくするための方法を冷静に考えられるようになります。お金のテーマからも逃げずに向き合い、「今ここからできることは何か」を考えることができるようになります。社会起業にもっとも必要なのは、自己犠牲ではありません。批判を受け入れる覚悟と課題解決に向けた合理的な姿勢なのです。