社会保険未加入の企業に対する加入勧告って、本当に有効なの?のらりくらり、かわされてしまわない?
組織で働くうえで最低限の保険、保障は確保されていたいものです。まれにニュースで「社会保険に未加入の企業」が取り沙汰されますが、そのような企業に対する加入勧告はちゃんと機能しているのでしょうか。
特定社会保険労務士の榊裕葵さんに、社会保険未加入の対応をされた場合の対策のイロハを教わりましたのでご紹介します。
※特定社会保険労務士の榊裕葵さん
社会保険には広義と狭義、ふたつの異なるニュアンスがある
――― そもそも、社会保険と雇用保険はどう違うんですか?
この違いを理解するためには、まず「社会保険」という言葉の定義を知る必要があります。「社会保険」は、世の中では2つの異なったニュアンスで使われているのですが、次の図ように概念を整理すると分かりやすくなります。
「社会保険」を広義のニュアンスで使った場合は、国が運営する公的保険制度全般を指します。これに対し、狭義のニュアンスで使った場合には、厚生年金保険・健康保険・介護保険の3つを合わせた概念ということになります。
さすがに最近は「労災保険や雇用保険にさえ未加入」という筋金入りのブラック企業はほとんど見かけなくなりましたので、「社会保険未加入問題」というと、通常は狭義の社会保険の未加入を指します。ここから先は、特に断らずに「社会保険」と言ったら、狭義の社会保険(厚生年金保険・健康保険・介護保険)を指していると理解して読み進めてください。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、「社会保険と雇用保険の違い」について説明しましょう。
押さえておきたい主な違いは3点あります。
第1の違いは、当然のことですが、保険給付が受けられる事由となる「アクシデント」の内容の違いです。
下表にまとめましたのでご覧ください。労災保険もついでに加えておきました。
第2の違いは、加入できる従業員の範囲が異なるということです。
こちらも、保険の種類ごとに表にまとめてみました。適用事業主に雇用され、(A)かつ(B)かつ(C)の条件を満たす従業員が保険の加入対象となります。
(注1)従業員数501名以上の企業の場合は、週20時間以上勤務する非正規も(A)の 対象者に含まれる (注2)介護保険は、社会保険対象者以外も加入義務があり、個人で保険料を納付
適用される事業主の範囲や、加入対象となる従業員の範囲は、社会保険のほうが、雇用保険や労災保険よりも狭くなっています。ただし、社会保険も雇用保険も正社員だけが加入対象ということでは無く、雇用形態に関わらず労働時間数などの条件を満たせば、非正規社員でも加入しなければならないというルールになっているということは覚えておいてください。
第3は、保険料率がかなり違うということです。
(注1)標準報酬月額は、月度の賃金総支給額を一定の幅ごとに均した金額というイメージで理解して下さい。(たとえば、総支給額が27万円~29万円の人の「標準報酬月額」は28万円になります)
細かい数字を覚える必要はありませんが、雇用保険にくらべ、厚生年金保険や健康保険は、圧倒的に保険料率が高いということです。それまで社会保険に加入していなかった会社が新たに加入をすると、厚生年金保険と健康保険の保険料率を合算した率の半分を事業主が負担することになりますので、人件費の総額が、約15%も増加するということになります。この負担の重さも、社会保険の未加入問題の一因となっています。
保険に未加入の場合は、会社を管轄する年金事務所に相談してください。
ただし、年金事務所に相談する前に、自分の勤務先が本当に社会保険の強制適用事業所なのかは、念のために確認しておきましょう。勤務先が法人ならば、100%間違いなく強制適用事業所です。しかし、勤務先が個人事業所の場合は、従業員が5名以上で、かつ、一定の業種に該当していることが社会保険の強制適用事業所の要件になります。ご注意ください。
逆に言えば、個人事業主の場合「一定の業種」でなければ、従業員が100名いても1000名いても、社会保険は強制加入ではないということです。「一定の業種」に該当しない代表例は、IT関係、美容業、飲食店、法律事務所、寺院などです。
以上を踏まえ、自分の勤務先が「強制適用事業所であるにも関わらず、未加入である」と確信が持てたら、年金事務所へ相談に行くのですが、その際には「会社の登記簿謄本(誰でも取得可能)」や、「社会保険料が控除されていない給与明細」など、証拠となる書類を持参してください。そうすれば年金事務所の担当者の方も、具体的な証拠があるわけですから、より親身になって話を聞いてくれると思います。
社会保険に加入すべき事業主なのに、加入していないことの確信を年金事務所が持てば、勤務先に対して加入するよう勧奨してくれます。勧奨をしても聞く耳を持たない事業主には、最終的には職権で加入をさせることもできます。
なお、注意点としては、年金事務所が職権で加入をさせた場合には、「最大で2年間さかのぼって加入をする」ことになるという点です。2年間の社会保険料というのは、数百万円とか数千万円の規模になりますので、会社が保険料の負担で倒産したら元も子もなくなってしまいます。従業員本人も、「さかのぼって2年分の保険料を折半負担」しなければなりませんから、状況によっては「自分の首を絞める」ことにもなりかねないので、実務上は「痛しかゆし」という部分も皆無ではありません。
試用期間中は社会保険対象外…は通用するのか?
――― 転職した新しい勤務先に「試用期間中は社会保険対象外」って言われたとして、それって合法なのでしょうか?
結論から申し上げて、試用期間中の従業員を社会保険の対象外とすることは違法です。
前述しましたように、週の所定労働時間および1か月の所定労働日数が正社員の4分の3以上であり、雇用契約の期間が2か月超であれば、雇用形態に関わらず、すべての従業員が社会保険の加入対象となります。試用期間だから社会保険に加入させなくて良いという法的根拠はまったくありません。
この点、脱法的な行為としてしばしば用いられるのが、試用期間のかわりに「2か月の短期雇用契約」を結び、2か月を超えない雇用契約なので社会保険に加入させない…というロジックを立てることです。
インチキなコンサルタントの中には、このような方法を「秘策」として事業主に伝授する者もいるようですが、法的には違法ですので、事業主の皆様はこのようなデタラメを真に受けないでください。
なぜならは、試用期間のかわりに2か月の短期雇用契約を結んだとしても、双方の意図としては、特段の問題が無ければ本契約に移行することを前提としているわけですから、法的には2か月以上の契約期間があるとみなされるからです。
2か月以内の短期雇用契約を社会保険の加入から除外しているのは、「年末商戦の応援として2か月だけ臨時でパートに入る」とか「海の家で8月の間だけ1か月働く」といったように、明らかに更新が予定されていない雇用契約の場合に限っては、社会保険に入らなくていいですよ、と言っているに過ぎません。多少なりとも更新の可能性がある場合には、事業主は、その社員が入社した初日から社会保険に加入させなければならないのです。
建設業で社会保険加入が一気に進んだ理由
――― 未加入企業に対する加入勧告は有効ですか?本当に是正されるのでしょうか?
未加入企業に対する加入勧告は、年々厳しくなっているという印象はあります。いちど加入勧奨のターゲットになったら未加入のまま逃げ切ることは難しいですが、年金事務所の担当者数にも限りがあり、直ちにすべての未加入事業所を取り締まることは物理的に不可能なので、悪質性の高いところから順次勧奨を行っているというイメージです。
したがって、未加入のまま「放置」されている事業所があるのは事実ですし、加入勧奨のターゲットになったら「法人を廃業して個人事業主になります」という方法で逃げようとする事業主もあり、今すぐ日本中の未加入事業所の問題が解決されるということは現実的には難しいでしょう。
ただ、業種によっては著しい進展もあります。建設業では、「平成29年4月から社会保険に未加入の事業者は公共工事に入れない」ことになり、一気に社会保険への加入が進んだ印象を受けます。
また、キャリアアップ助成金など、近年は雇用関係の助成金を申請したいという事業主も増えていますが、ほとんどの助成金が「社会保険に正しく加入していること」を支給要件としていますので、助成金の申請をきっかけに社会保険に加入をする事業主も増えていると思います。
個人で国保・国民年金に加入するより、社会保険に加入するほうが得というケースも
――― 逆のパターンで、「国民健康保険を個人でかけているから、社会保険に加入したくない」とか「手取りが少なくなるから嫌だ」って社員側の屁理屈は通りますか?
確かに、私自身もしばしば経営者の方から「社会保険に入りたがらない社員がいるのだが、どうしたものか」という相談を受けることがあります。
このとき「従業員が自分で入りたくないと言っているのだし、会社も社会保険料が助かるのだから、加入させないでも良いのなら本人の希望を尊重しよう」とおっしゃる事業主の方もいらっしゃいます。しかし、残念ながら、法的には従業員が入りたくないと言っても加入させなければならないのが社会保険です。
私は「従業員に強制加入であることを説明して、正しく社会保険に加入させましょう」とアドバイスをします。定期的に年金事務所の調査があり、賃金台帳や雇用契約書を年金事務所に見せなければなりませんので、加入すべき人が加入していなければ、早かれ遅かれ発覚します。そして、最悪の場合は2年さかのぼって社会保険に加入させられてしまいます。そうなった場合、その人の社会保険料も2年分まとめて発生することになりますので、会社も本人も、キャッシュフローに手痛いダメージを受けてしまいます。
もう1つ補足をしておきますと、社会保険は、会社が保険料を折半負担してくれるのですから、実は月の賃金が20万円くらいまでは、自分で国保・国民年金に加入するよりも、社会保険に加入するほうが従業員は得なのです。
以下の例で、比較してみましょう。
Aさん 東京都港区に居住および勤務 月給20万円(年収240万円)
<社保加入の場合> 健康保険料: 9,910円/月 厚生年金保険料: 18,182円/月 合計: 28,092円/月
<社保未加入の場合> 国民健康保険料: 20,392円/月 国民年金保険料: 16,490円/月 合計: 36,882円/月
ザックリとした試算になりますが、本人負担ベースでは、社保加入のほうが安いのです。やはり、国民健康保険の保険料の高さが効いています。
さらに言えば、私傷病(ししょうびょう)で働けなくなったとき、社保加入なら健康保険から「傷病手当金」として元の賃金の約3分の2が最大1年半も所得補償されるのですが、国民健康保険では所得補償はビタ一文ありません。また、老後の年金はもちろんのこと、障害を負ったとき(障害年金)や、死亡して遺族が残されたとき(遺族年金)も、厚生年金に加入していた人のほうが年金額や補償される範囲は手厚いです。
ですから、月の手取りが20万円前後で社会保険に加入を望まない人というのは、自ら損することを望んでいる、と言っても過言ではないのです。
悪徳経営者は相手にしない、というマインド
――― 抜け道を使って、社会保険未加入のまま逃げ切ろうとする悪徳経営者を撲滅する手はありますか?
年金事務所の取締りの強化を期待したいところですが、前述しましたように、年金事務所の職員の人手にも限りがあり、今すぐにすべての未加入事業所に手が回るわけではありませんので、私たちは「私たち自身でできる対策」を取るのが賢明だと思います。
その対策とは何かということですが、真っ先に私が挙げたいのは「そんな悪徳経営者は相手にしない」ことです。
ブラック企業も、そこで働く人がゼロになれば消滅するわけですから、社会保険未加入の会社には就職しない、社会保険に加入してくれないならば退職する、という考え方です。
「どうせ他に行くところはないだろう」とか「ちょっと脅せば俺の言うことを聞くだろう」とか、経営者が従業員を甘く見ていることがブラック企業が存在し続ける原因の1つです。
会社が法令違反をしていることが理由で退職した場合は、雇用保険上も離職理由は「会社都合」になり、失業保険は待期期間無しでもらえます。自己啓発をして転職先の選択肢を広げるということも可能なはずですから、勇気を持って新しい環境を目指すことも大切な考え方だと思います。
もし、どうしてもブラック企業で働き続けざるを得ないのであれば、従業員みんなで団結することです。1人でブラック経営者に対抗しようとしても潰されますので、労働組合を結成して社会保険加入を要求するなど、全従業員で経営者と闘い、社会保険加入を認めさせるのです。
全従業員で団結し、ブラック企業に立ち向かう
――― 罰則強化になってはいるようですが、どの程度の罰則でしょう?
社会保険に未加入の場合の罰則自体は、「6か月以下の懲役または50万円以下の罰金」ということで、以前から変わってはいません。
ただ、ここまで述べてきましたように、年金事務所からの加入勧奨が徐々に厳しくなっているとか、建設業で社会保険に加入していなければ公共工事に入れないとか、社会保険未加入だと雇用関係の助成金を受けられないとか、「徐々に外堀が埋められてきている」のは間違いありません。
――― 強制力はありますか?実質は泣き寝入りなのでしょうか?
私の知る限りでは、社会保険の未加入のため、実際に罰則が適用されたという話は聞いたことがありません。やはり、刑事告発をして罰則を適用させるというのは、悪質性の立証なども必要になってきますので、現実的にハードルが高いのだと思われます。
ただ、刑事罰は適用されないにしても、年金事務所に相談して職権で社会保険を適用してもらうことまでは現実的に充分可能です。事業主に罰を与えるのが目的ではなく、自分が社会保険に加入できることが目的であれば、年金事務所に動いてもらって社会保険への加入を実現するということが、落としどころになるのではないかと思います。
しかしながら、1人で年金事務所に相談すると、ブラック企業の場合は「犯人探し」が始まる傾向にあり、自分が告発者だと特定されたり、疑いをかけられた場合には、何らかの報復を受ける恐れがあります。
ですから、年金事務所へ相談する前に仲間を集め、できることならば全従業員で団結することが大切です。
誰も同調せず、自分だけした立ち上がらないような職場環境の場合は、年金事務所に相談しして事業主と闘うエネルギーを転職活動に向けるほうが賢明でしょう。
事業主と堂々と条件交渉ができるくらいのスキルを身に付ける
――― 平成29年4月から中小企業でも健康保険・厚生年金保険の加入対象が広がりましたが、”労使合意”ってのが曲者のような気が…雇用者が撥ね退けたら、被雇用側は打つ手なしですか? ※参考リンク
この流れを受け、平成29年4月からは従業員500人以下の会社でも、週の所定労働時間数が20時間以上の人が社会保険に加入できることとなりました。しかし、「労使合意」が条件になっているところが注意点です。従業員側がどれだけ強く望んだとしても、事業主が首を縦に振らなければ、残念ながら社会保険に加入することはできないのです。
すなわち、現在のところ法的には「打つ手なし」という回答にならざるを得ません。
しかしながら、自分が何か特別なスキルを持っていて「社会保険に加入させてくれなければ退職します」とか「内定を辞退します」と交渉できる力があれば、道は開けてくるのではないでしょうか。事業主と堂々と条件交渉ができるくらいのスキルを身に付けることが、働き方が多様化しているこのご時世には、一層必要なことになってくるのかもしれません。
「勇気を出して職場を変える」という選択肢
ここまで社会保険について色々と述べてきましたが、これだけ「社会保険の未加入問題」が叫ばれている中、社会保険に加入していない事業所というのは、やはり確信犯的なブラック企業か、あるいは加入したいという気持ちはあっても「無い袖は振れない」という財務状況の厳しい会社のどちらかである可能性が高いです。
そのような会社に対して、いち従業員の力で社会保険に加入させることは手間と時間がかかりますし、仮に無理矢理社会保険に加入できたとしても、労使の信頼関係はボロボロになってしまうでしょう。
とするならば、「君子危うき所に近づかず」ではないですが、世の中にはきちんと社会保険に加入して、従業員のことを大切にしているホワイト企業もたくさんありますから、勇気を出して職場を変えてみる、ということが多くの人にとっては最善の解決策になるのではないかと私は思います。