「100人いて、1人食えるかどうか」なインディーズTシャツ界で成功するにはどうすればいいか、元プロボクサー経営者を取材してきました
こんにちは、編集長の中山です。
皆さんは、「このお店、どうやって商売を成り立たせているんだろう?」って思ったことはないですか?あるいは「面白い商品だけど、ニッチすぎないか?」って首をかしげるとか。
私にとってのそれは、「戦うTシャツ屋 伊藤製作所」。もう一つは「邪悪なハンコ屋 しにものぐるい」でした。戦うとか邪悪とか、やたら好戦的な店名がユニークなんですが、「ビジネスとして成立しているのかな?」と思いながら10年以上が過ぎました。でも、逆に言うと「10年以上も継続できている=すごく立派」でもありますよね。
ネットショップだけでなく、リアル店舗もあって場所は谷中銀座という下町。最寄り駅は日暮里駅。運営するのは伊藤康一さんという方で、なんと元プロボクサーの経歴もお持ち。
元プロボクサーが運営するTシャツ屋さんとはどんなビジネスなのか?
どのようにして商売を切り盛りしているのか?
どんなピンチに見舞われ、チャンスをモノにしてきたのか?
そのベールを剥がすべく、谷中銀座に行ってまいりました。
「事業計画書」を知らないままTシャツ屋を開業
――伊藤さん、今日はよろしくお願いします。いきなりですが、ネットでTシャツ屋をオープンした30歳の頃(2004年)、準備は万端に整えたんですか?たとえば、事業計画書を作るとか。
伊藤:いいえ、一度も作ったことがないです。今でも事業計画書がそもそも何かよくわかってない(笑)。
――(えっ…)ビジネスの勝算はいかほど?ダメだったらいつでも撤退しようかなあ、くらいの軽いノリだったんですか?
伊藤:僕、就職をしたことがないまま30歳になってしまって……「就職未経験の30歳フリーター」ってどこも雇いたくないじゃないですか。
――失礼ですが、世間的に詰みに近い状態というか…。
伊藤:詰んでます(笑)。そんな状態でTシャツで食べていくと決めて始めたんです。2~3年やって芽が出なければトヨタの期間工になるしかない、くらいの覚悟でした。
――わりと背水の陣だったと…。
伊藤:肉体的な死ではなく、精神的な死に陥る気がしてました。好きなことができない=生きている意味がない。死んじゃうのと一緒だな、くらいに思っていて。もしTシャツビジネスでうまくいかなかったら、精神的な死が待っているって気持ちで挑みました。
――ゆるふわなデザイン柄からは想像もできない過去ですね。
伊藤:必死にやれば、なんとかなるんじゃないかなとは思ってましたよ。「成功しなかったら殺す」って言われたら、誰だって必死でやりますよね?そう考えれば、うまくいくと思いません?(笑)。
――”必死にやる”というのは、具体的に何を?営業しまくったとか?
伊藤:あちこち足で回るのがベタな営業だと思うのですが、僕はネットショップをつくって売り込むのも、営業だと思ってて。
――はいはい。
伊藤:いろいろな営業のやり方があると思うのですが、僕は売り込み仕事に向いていないので、ネットショップを丹念につくり込むんです。あるいは、新作のTシャツを増やしていくとか。そういう方向の”必死さ”です。
――当時も集客は検索エンジンで?当時はすでにグーグルもありましたよね。「Tシャツ」とか「Tシャツ×買いたい」で上位表示するようSEOに取り組んだんですか?
伊藤:SEOはさほど重要じゃなかったかな。いまも伊藤製作所はSEOをあまりやっていないんですが、当時「Tシャツ」で検索をすると、1ページ目にヒットしたんです。だからといって別に売上は変わらない。たぶん、「Tシャツ」で検索して来た人は、うちのTシャツは買わないんでしょう。
――たしかに……「Tシャツ」で検索した人は、無地を探すんじゃないですかね。
伊藤:うちのTシャツは、「Tシャツ」とはまったく別のワードで検索する人が買っている気がします。
「ネットでTシャツを売って食べていく」とか、寝ぼけたことを言ってんじゃねえ(←親の反応)
――ネットで販売したとき、購買者の顔が見えないせいで、どこの誰がなんの目的で買っているのかってナゾじゃありませんでした?
伊藤:当時はSNSがなかったので、そのぶんTシャツ屋さんばかり集まるイベントとか、デザインフェスタに出て、チラシを配って知ってもらう…というアナログな活動をがんばっていました。そこでお客さんにも会えていたのでなんとなくはつかめていたような。
――初期の頃って何が一番辛かったんでしょう。
伊藤:じつは、つらかった記憶がないです。軌道に乗るまで1年以上かかってけっして楽じゃなかったけど、ビジネス規模はずっと右肩上がりなので気分はいいです。開業直後は「3年以内に食べていく」という目標を立てていたので。1年目の売上が75万。2年目が200万。3年目が800万とかいったのかな。
――順調に目標をクリアしているっぽい。
伊藤:イメージとしては、3年目にここまでいくためには、1年目はここ、2年目はここ…ってラインが見えますよね。それはクリアしていたので、つらくはなかったです。
――1年目は生活的に厳しそうですが、生計はどのように?
伊藤:実家に帰っていたので、生活コストは抑えられていました。東京で30歳までフリーターをしていて、Tシャツ屋をやろうと思ったときに、バイトを辞めて地元の岡崎(愛知県)に戻りました。で、親に「ネットでTシャツを売って食べていく」と伝えたら…。
――波乱の予感…。
伊藤:大学も出してやった息子が、30過ぎて就職もせず、数年ぶりに実家に帰ってきたと思ったら「ネットでTシャツを売って食べていく」とか、寝ぼけたことを言ってんじゃねえ、と(笑)。
――でしょうね。
伊藤:母親は比較的冷静で、「Tシャツもいいけど、アルバイトやったら?」って言いました。僕の事業をアルバイトより低く見ていたんですよね。
――お父さんの反応は?
伊藤:基本的に全否定です。社会人としてお前はダメだって。「30歳までフリーターをしていたこと自体が人としてあかん」というかんじでした。一応、なんだかんだいって、開業資金の10万は出してくれましたが。
――最初の2年、3年は、実家に住んでなるべく生活コストを落としたうえで、軌道に乗せていったわけですね。
伊藤:そうです。お金がないなら、ないなりにやり方があると思っていて。僕は実家に帰って親のスネをかじる手段を取りました。普通は開業資金を貯めて起業なんでしょうが。他にはヒモになるのもアリじゃないですか?
――え?ヒモに?
伊藤:食わせてもらいながら、なんかをやるのが一番って個人的には思ってます(笑)。宮藤官九郎さんとか、まさにそういう感じで。今結婚されている奥さんに、売れる前は食べさせてもらいながらやっていたらしくて。
――それは知りませんでした。
あとは、五月女ケイ子さんという、面白い絵を描くイラストレーターさんは、結婚して主婦になり、「(ご主人がいるので)生活のためではなく自由に絵を描きだしたら、それが受けて売れた」みたいな感じだったと雑誌で読んで、やはり余裕ってすごく大事だなと思います。
――切羽詰まっていたら、あんなファンキーなデザインを考える余裕がないですよね。そんなに悲壮感はなかった感じなんですか?
伊藤:しゃべってて矛盾しますが、悲壮感はめっちゃあった気がします。「これで失敗したらヤバい」とは常に思いながら、バカなTシャツをつくっていました。
「100人いて、1人食えるかどうか」な世界
――大変な時期もあったんですね…。ただ、「イラストをTシャツにプリントして売ってるだけの気楽な商売だな」みたいなことを言う人もいたりしませんか?「簡単なビジネスで誰でもまねできる」みたいな。
伊藤:簡単なビジネスだからこそ、難しい気がします。誰でも模倣できますし。
――参入障壁は低いですよね。似たようなプレーヤーも大勢いたのでは?
伊藤:2004~2006年頃は僕みたいなインディーズ系Tシャツ屋さんがいっぱいいましたが、感覚でいうと「100人いて、1人食えるかどうか」な世界でした。まあ、僕が生き残った理由の9割は運だと思ってますが。
――成功率たったの1%…。9割が運だとして、あとの1割ってなんですか。
伊藤:面白いことを考える才能とか能力もありますが、努力が一番。あまり努力とか言いたくないですが、努力が一番大きい気がします。
――当たり前すぎる答えですが、真理なんでしょうね。
伊藤:Tシャツのイベントに出店するじゃないですか。隣のブースと僕のブースだと、僕のほうが3倍くらい売れていたときがあったんですが、隣の方が「すごいね」って言ってくれるんです。でも、その人はサラリーマンをしながら趣味でTシャツを作っていて、僕はフルタイムのTシャツ屋。僕は彼の3倍以上時間をかけているにもかかわらず、売り上げが3倍しか差がつかないのは、「逆にこっちが負けている」くらいに思ってました。
――全然満足していなかったということですね。もともと絵の才能があったんですか?あと、ふざけたテンションも伊藤さんのセンス?
伊藤:小学校、中学校とか、小さい頃に得意だったものを仕事にすると幸せになれるんじゃないかと思ってて、僕は文集の表紙を描くくらいの絵のうまさはあったんです。クラスの面白いやつランキングとかあるじゃないですか。ああいうので1位を取っていました。我ながら面白い子どもで、絵もそこそこうまかった。その能力が、今、生かせて良かったなと。
――まさに芸は身を助ける、ですね。
伊藤:確かにそれはあると思うのですが。もともとプロボクサーだったので、最初はボクシングTシャツってコンセプトでやってみました、そしたらびっくりするくらい売れなくて。
――購買層が狭そう。そういういわゆるインディーズTシャツというのは、それくらい始めやすく、辞めやすいってことですか。
伊藤:ええ、今やってるようなおバカTシャツでは「プレイヤーが多いから、普通は食っていけない」と言われたことがあります。でも、ボクシングだけよりパイも広いというか、買う人も多い。結局、自分が得意な領域で勝負しようと思って。すごい人たちも多いものの、なんとか生き残れたという感じです。
ユニクロとか大企業がやっていることの逆をやればいい、くらいに思っている
――伊藤さんの頑張りって「競合を蹴落とす」という方向ですか?それとも「己のやりたいことを貫く」ほうですか?
伊藤:後者です。自分がやりやすくて愉しめるおバカTシャツは考えやすかったです。やりやすかったほうにいった感じです。
――戦略的に「こうふざければ受けるはず」ではなく、自分が面白いと思えるかどうかが大事。
伊藤:そうです。
――ちなみに、メインのお客さんの属性で多いのはどんな層でしょう?
伊藤:今でこそ外国人のお客様も多いですが、当時は、わかったような、わからないような。接客だけだと属性もわかりませんしね。見た目でわかる範囲だと、男性、女性、半々くらい…。つまり老若男女。あ、でも、自分と同じくらいの年齢の方が一番多い気がします。
――アラフォー男性ってことですか?
伊藤:いえ、その時期、その時期の、自分に近い年齢が一番多いような。感覚としては、ユニクロのTシャツを着たくない人が買っている感じ。ユニクロは安くてバラエティ豊富ですばらしいと思いますが、ユニクロのTシャツを着てて他人とかぶる可能性がありますよね。うちのTシャツはユニクロほど流通していないので、滅多にかぶらないんです。
――むしろ、かぶったら「よう」ってあいさつしたくなるかもしれない(笑)。
伊藤:それでいうと、ユニクロとか大企業がやっていることの、逆をやればいい、くらいに思っています。でも、最近は忙しすぎてあまり新商品を出したいけど出せていないんです。アイデアが出ないというより、単純にマンパワーが足りない。
――Tシャツ屋さんって、どんな作業が一番面倒くさいです?
伊藤:描いた絵を、サイズを決めて、ここにプリントするとか、データ化するとか。オペレーション的な部分が詰まっちゃう感じです。本当はデザインしたいんだけど、経営者としてそればかりもしていられないという。
――会社は何人で運営されていらっしゃいます?
伊藤:僕と嫁と、社員が2人。社員は4人で、あとはアルバイトさんが6人くらいです。
――デザインは社長以外がやってもいいような気がするんですが…。
伊藤:人に任せられたらいいんでしょうけど、こればかりは任せられないというか、そこが伊藤製作所の強みだと思うので、自分たちでやります。今は嫁にも手伝ってもらって夫婦でやってる感じです。デザイン担当=伊藤家ですね。
無駄なのか有益なのかわからないノベルティまで作っちゃう
――めっちゃ規模を大きくしたい、みたいな野望はあるんですか?
伊藤:ただ規模の拡大を目指すことはないです。
――「銀座にドーンと店を構えたい」とか…。
伊藤:ぜんぜん。でも、ちゃんと売れたほうが楽しいし、できることが増えると思うんです。たとえば、いろんなノベルティを作ってTシャツに梱包したりしているんですが…。
――なんですか、これ。
伊藤:こういう冊子をオマケにつけるんです。
――いいサプライズですね。かわいいし。でも、つくるのけっこう手間じゃありません?
伊藤:手間です。というか、これをやっている間に、新作Tシャツ余裕で作れてしまうくらい手間です(笑)。
――しかも、オマケだから売り物じゃないですよね。これの意図は…?
伊藤:…えっと……単純にやってみたくなった…だけです。
――英語バージョンのポストカードまで作ってる…。
伊藤:外人さんが多いから、英語もつけようかと。
――伊藤製作所新聞…。これ、小学生の学級新聞まんまじゃないですか。
伊藤:何気に57号だったりします。
――面白いし、お客さんも楽しんでくれそう。でも、サイトへのリンクも伊藤製作所のロゴすら載ってないですね。QRコードつけるとかもしてない。
伊藤:たしかに。うしろとか入れられますね…。
――もはや遊んでいるだけでは。
伊藤:純粋にやりたかったからやった、だけなんです。指摘されて、ビジネスにつながってないって気づきました(笑)。
――でも、売れていなければこういう試みもできませんもんね。
伊藤:そうなんです。売れているからこそ、いろいろなトライができる。冊子も新聞も、部数をたくさん作れるからこそ、単価が下がってオマケでつけることができます。そう考えると、規模は目指さないけど、売れたほうがいいんです。
短期的に売上が伸びても、その後どうせ下がるので強引な売り込みはしない
――伊藤さんにとって、やりたいことにひたすら没頭するのが幸せなんですかね?
伊藤:Tシャツ屋を始めて何年目かのとき、イベントでTシャツを売っていたら、Tシャツを見ながら「いやあ、すげえな。天才だわ…」って独り言を言ってるお客さんがいたんです。「天才だわ。天才だわ」と褒めまくって買ってくれたんですが、「天才」と言われてお金までいただけて、食べていけて…これ、めちゃくちゃ幸せじゃないですか。これより幸せなことはないんじゃないかな、くらい幸せです。
――ドーパミンはすごい出ていたはず。
伊藤:僕も幸せだし、買ってくれた人も、きっと満足してくれている。これをずっと続けていきたいです。お金を稼げなくていいかといったら、まったくそんなことはないですよ。最近は「かき氷屋」がやりたいと思ってまして。
――ちょっと前にブームになりましたよね。
伊藤:やる以上はちゃんと利益は出したいです。売れないと、自分もスタッフも、テンション下がってつらくなってきますから。たとえば、お店運営をやっていると、「実店舗で売れなくても、ネットがあるからいいよね」みたいなことを言われたりするんですが、そんなことないです。店舗が赤字だったら、やっちゃダメでしょう。
――そりゃそうですね。ただ、伊藤製作所ってサイトも店舗もグイグイに売り込んでこないので居心地がいいような気がします。
伊藤:自分がお客さんだったら、されたくないじゃないですか。
――普通だったら、「これも売れています」とか、「これも一緒にどうですか?」みたいなリコメンドしてきてもおかしくない。むしろ「お好きならどうぞ」くらいの軽いノリ。これは伊藤さんの世界観みたいなものなんですか?
伊藤:うちの場合、こういう世界観にしようというより、これしかできないってのが正直なところ(笑)。絵のテイストも、こういうのしか描けません。
――武器が”ゆるふわ”オンリー。
伊藤:プロのイラストレーターさんなら、注文に応じていろいろ描けるじゃないですか。うちはそういう器用なことができません。「飽きられたら終わりだな」くらいに思ってます。
――持ってるスキルで戦うということですね。
伊藤:さっきの、売り込まないって話でいうと、好き嫌いが激しいテイストですからそもそも何万枚もバカ売れするものじゃないと思ってて。100人中10人も、欲しいと思わない気がするんです。
――万人受けはそもそも目指してない気がします。
伊藤:そうです。欲しがる人の数はある程度決まっているんだったら、売り込みはしてもしなくても、そんなに変わらないんじゃないかなって。仮に強引に売り込んで短期的に売上が伸びても、その後どうせ下がるだろうから、あまり意味がないかなと。
――買う人は買うし、買わない人は何を言っても買わないですよね。なので無理をしない。
伊藤:お店で売っているはんこで、あるときPOPの金額表記を間違って「0」がひとつ足りない記載したことがあります。その10分の1の金額を読み上げながらも、買わずに通り過ぎて行ったカップルがいて。10分の1でも買わない人は買わない。
休みがもらえるんだったら、その日を使って仕事がしたい
――伊藤さんはインディーズシャツの世界で14年間も生きてきたわけで、経験値が高いじゃないですか。
伊藤:まあ、生き抜いては来ました(笑)。
――今後、物販で起業を考えている人に相談されたら、どんなアドバイスをします?
伊藤:「固定費をなるべく低く&ネットショップから始める」は言うと思います。
――スモールスタート、ですか。
伊藤:ですね。
――他にはどんなことを?
伊藤:ずば抜けた才能があるなら別ですが、とにかく地道にやるしかないです。たとえば、垢抜けない20歳くらいの男の子がいたとして、彼がおしゃれに関心を持って、いろいろな本を見たり、お店に行ったりしていれば、10年経ったらすごくおしゃれになって、まわりからセンスいいねって言われると思うんです。そうやって、センスは努力や日々の行いで身に付くと思っていて、おしゃれが好きでたまらないならそれでいい。スポーツはピュアに才能の限界がありますが、ビジネスは努力でなんとかなってしまう世界じゃないかなと。
――「好き」って気持ちですかね。
伊藤:情熱は本当に大事。「儲かるから」ではなく、好きなことをやってほしい。うちでも、儲かりそうだと思ったことは、大体うまくいってません。やりたいと思ったことは、うまくいく。なんなんでしょうね。
――何があったんですか?
伊藤:はんこ屋の隣で、トートバッグ屋とか、インクジェットでその場でプリントをするTシャツ屋をやったんですが、本当に売れなかった。結局やめてます。
――パッと聞く限りは、「なんかイケそうな気がする」って思っちゃいました。
伊藤:そう。僕も「いい感じじゃない?」と思って始めたんですよ。ただ、熱量が足りなかったのかな。無意識にそろばん勘定をしてしまっていたんでしょう。
――その点、はんこ屋は熱量が異様に高い。
伊藤:元々、妻が趣味で消しゴムはんこをやっていて、それをキッカケに何かやりたかったのですが、アイデアを出しているうちに消しゴムはんこは関係なくなってしまいました。「消しゴムはんこはまったく関係なくなっちゃったけど、面白いからこれでいこう」みたいな。
――結果オーライ。好きなことはマストですね。
伊藤:ゲームが好きな人は、1日15時間ゲームをやっても過労死しないでしょう。むしろ、元気になる。でも、嫌なことをやっていたら、たぶん、8時間でも過労死しますよね。毎日、起きている間、ずっと好きなことができる人と、辛いことを我慢してやるとしたら…。
――勝負は見えている。
伊藤:時間をかければいいというものではないですが、物事は時間をかけた分だけ伸びるものです。だから、単純に時間をかけられると考えると、好きなことをやる人のほうが有利。僕は休日に遊びに行っても、気が付くと仕事の話を夫婦でしちゃっています。しかもそれが楽しい。というか、休みがもらえるんだったら、その日を使って仕事がしたい。仕事大好き。
――それって最強ですよね。伊藤さん、超幸せじゃないですか?
伊藤:幸せです。自分の商品を買ってくれて、しかも評価までしてもらえるなんて幸せでしかない。
「目標がない、何をしていいかわからない、辛い」 7年間のフリーター時代が一番苦しかった
――「地道にやるしかない」っておっしゃってましたけど、言うのは簡単でも継続って難しいじゃないですか。それって、ボクシングの経験が生きていますか?
伊藤:いえ、全然関係ないと思います。
――根性がめっちゃある人なのかなって思ってたんですが。
伊藤:あんまり参考にならないのですが、ボクシングをやることによって努力できるようになったわけじゃなくて、元々、努力ができる人間がボクシングを始めた、みたいな感じがします。
――元々、ガマン強さが備わっていた?
伊藤:自分で吹聴することでもないですが、性格的に努力できちゃう性格でした。ボクシングでプロになって毎日殴られて、鼻血が出て、でも練習しないといけなくて。けっこう大変なんですが、当時の僕は苦じゃなかった。傍から見れば苦しい日々でも、当の僕はそうでもない。それはボクシングが好きだったからです。
――好きじゃないことは、逆に我慢できない?
伊藤:できないです。だから、父には「我慢できない人間」に見えたんでしょうね。世代が違うからアレですが、父の世代は決まった時間に決まった場所に行って働くのが正解でしたし。「仕事はガマン料」みたいな。
――そういう価値観がスタンダードな時代もありましたね。
伊藤:天職は待っててもポンとは与えられないから、何かしら見つけていくしかない。ボクシングをやめて、フリーターを7年くらいやってた頃は「目標がない、何をしていいかわからない、辛い」って状態でした。ストレングス・ファインダーという自分の資質がわかる診断があるのですが、それで「目標志向」「未来志向」が上位に出てくる僕にとって、目標がなく未来も見えない状態は、人生でいちばんつらい時間でした。
――いろいろなバイトを試しては感じる、「コレジャナイ」感?。
伊藤:そう。目標に向かっているんだったら、その間のキツさは苦にならないのですが、どこに行けばいいのかわからず暗中模索は苦しかった…。
協栄ジムの大竹トレーナーに試合で檄を飛ばされ、やけくそで従った結果
――伊藤さんの強さがもっとも出てるな~って思ったのが、伊藤製作所のプロフィールページにある言葉なんです。ちょっと引用しますね。
「伊藤、前に出ろ!」
セコンドでトレーナーがそう叫んでいる。
自分でも前に出た方がいいと思う。出たいと思う。
でも、体がだんだん自分の言うことを聞かなくなってきて思い通りに動かなくなってきた。感覚が、鈍く、ダルくなってきている。
第3ラウンド、相手と押し相撲のような展開になってきていてボクは徐々に押し負けてきていた。前半から飛ばしてスタミナが切れてきたためだ。
まだこのラウンドと次の最終ラウンドを戦わなければならないからなるべくスタミナを温存したかった。
それでも「前に出ろ!」と何度もセコンドからの声が聞こえてくる。
「もうどうなっても知らないからな!」と心の中で思って自分の残っている最後の力を使って相手を押し返す。
相手も押してくるからなかなか前に出られないのだけどそれでも「1歩だけでいいから!」と思って押して押して、ついに1歩前に出た。
と、そこから続けて2歩目、3歩目と勝手に足が出る。相手をどんどん押し返す。ペースがボクにもどってくる。
そして、そのままなんとか勢いを失わずにそのラウンド、最終ラウンドと持ちこたえ前半に貯めたポイントでボクは勝つことができた。
もし、あのとき前に出ることができなかったら押し負けて、そのまま相手の勢いに飲まれて
逆転負けをしてしまっていたと思う。
前に踏み出せば、後はなんとかなるものだな・・・とにかく、その時にできる精一杯をやればいいんだ。
このときボクは、物理的にだけど「一歩踏み出す」ことの大切さを痛感させられました。
この経験は、その後のボクの人生でも大事な場面で役にたってくれてそれで今、Tシャツ屋をやることになってます(笑)。
みなさんも人生を充実させるために一歩踏み出してください。人生にはKO負けも最終ラウンドもないらしいですよ(笑)。
伊藤:自分で言いますが、いいことを書きましたよね(笑)。
――ボクシング経験者でないと言えない言葉だなと。苦しいときに思い出すご自身のスローガンみたいなものですか?
伊藤:細かく言うと、僕が所属していたのは鬼塚選手とか、勇利アルバチャコフ選手で有名な協栄ジムだったんですが、その時マネジャーをやってくれていた大竹トレーナーってすごい人が、ついてくれてる3人のセコンドじゃないところから、すげえ大声で指示飛ばしてくるんです(笑)。「ちょっと、大竹トレーナー!あんた俺に普段練習教えてねえじゃん!なのに言うの!?」って思いましたよ(笑)。
――セコンドの立場が…(笑)。
伊藤:技術的には大竹トレーナーのほうが高いんでしょうが、「あんたが言うの~?今ここで~?」みたいな感じで。でもその声に従ったら結果勝てました。
――うーん、味わい深い。ある意味ターニングポイントでしたね。
伊藤:糸井重里さんか誰かが言っていた気がするんですが、「バカの命がけのジャンプ」って言葉があります。賢い人が考えて結局行動できなかったりするよりも、最後はバカが命がけでジャンプをしたら、もう、それには敵わない。それができる人が、たぶん、強いんだろうなと。
――試合の一歩もそうだし、Tシャツ屋の開業も命がけのジャンプだったんじゃ。
伊藤:今振り返ると、ほんとそう。当時の自分に「なんでお前はそんなTシャツを売って食べていけると思えたんだ?正気か?」と問い詰めたい(笑)。
『木彫りパンダTシャツ』で上昇のキッカケを掴む
伊藤:知り合いから当時、「個人でTシャツ屋をやっている中で、食べていけるのはせいぜいトップ10まで」って聞かされたんですが、なぜか「あぁ、僕ならトップ10に入れる」と思ったんです(笑)。もちろん、ただの根拠のない自信です。「トップ3は厳しいけど、トップ10ならいけるわ」と。今思い出すと怖いですが。
――どのTシャツがキッカケになったんですか。
伊藤:木彫りパンダTシャツですね。最初、8種類くらいのシャツを出したら、これだけポーンと売れたんです。残り7種類は全然売れなかったのですが、木彫りパンダTシャツのおかげでカバーできちゃいました。で、初期の代表作にもなりまして、今も売っています。ユニクロの柳井社長の、「1勝9敗」じゃないですが、10戦に1勝でも、もとは取れるどころかむしろプラスになるんだって学びました。
――打率1割でもなんとかなったんですね。
伊藤:打率1割でも食っていけるし、成功する確率が10パーだったら、逆にいうと、10回やればうまくいくということです。
――2~3回ミスったくらいで諦めるな、と。
伊藤:さっきのトートバッグの失敗とか含めると、僕も4回中3回は失敗してます。打率二割五分。でも、世間一般よりはマシかなって思います。失敗したらちょっとは落ち込むけど、次もやっていくしかないよねと。
――バッターボックスに立ち続けるってことかー。
伊藤:ウサギと亀の童話で、ウサギは寝ている間に負けて終わりでしたが、伊藤ネコのバージョンではこのままでは終われないと、悔しさをばねにしては立ち上がり…。
――打ちのめされてても、カワイイって自己認識はあるんだ…。
伊藤:超努力して、ある日チャンスがめぐってきて、ついに活躍できたという…まさに、努力しろよって僕からのメッセージです。
――「自分の人生は自分で決めろ!」うーむ、パワーワードだ。なんか、むしろこのほうがいい童話になりそう。
伊藤:ユルいイラストの絵本で、重めの説教をしれっとしてますが、どうか大目に見てください(笑)。
――自分の人生は自分で決めます!貴重なお話し、ありがとうございましたっ!
伊藤製作所代表:伊藤 康一
<邪悪なハンコ屋 しにものぐるい>
オフィスや日常に遊び心と個性を加えたら?というわけで、邪悪なハンコを作ってみました。イラストや模様の入った印鑑は実印にはできませんが、認印には(ほぼ)問題ありません。乾いた都会の喧騒に、湿った日常にイエスイエス! ディスイズ認印!
<戦うTシャツ屋 伊藤製作所>
伊藤製作所のTシャツはコミュニケーションツールです。着れば、まわりは思わず突っ込まずにはいられなくなります。プレゼントしてもやっぱり突っ込まれます。あなたの日常に悪ふざけとほくそえみをお届けします。
実店舗の住所:東京都台東区谷中3-11-15
営業時間:10:30〜18:00
ハンコ屋:03-6874-2839
Tシャツ屋:050-5899-6102