クラウドコンピューティングがもたらす中小「零細」企業へのインパクト
ひと昔前の「未来」が現実に
90年代の終わりから2000年頃にかけて、Oracle社のCEOであるラリー・エリソンが「ネットワークコンピューター」という概念を提唱し、NCというブランドを発表していました。
PCがまだ高価だった時代に、ブラウザだけがインストールされているような簡素な端末で、インターネットを介してサーバー側にあるソフトウェアを使うアイデアがOracleにはあったのです。
この商品自体は、PCの価格が急激に下落したことや、インターネットの通信速度が未発達だったこと等々の理由で拡がりませんでしたが、そのアイデアは今日のクラウドコンピューティングに繋がっており、現在の状況は、ラリー・エリソンの当時の構想そのものではないかと思える程です。「未来」が現実になった今、クラウドコンピューティングは中小零細企業にとってどのようなインパクトがあるのか、考えてみたいと思います。
1)保持から利用へ
システムの運用費は企業の大きなコスト
システムのコストは大きく分けると構築費と運用費となりますが、どちらかといえば運用に大きなコストがかかると言われます。システム運用はハードウェアやソフトウェアそのものの保守から、バックアップの設計、パフォーマンスチューニング等々多岐に渡ります。
その中でも各製品のバージョン管理、互換性管理については非常に頭の痛い問題です。筆者のような街の小さな税理士事務所でも、顧問先に提供している会計ソフトのバージョン管理は手間のかかる煩わしい問題でした。
会計ソフトのバージョンアップに合わせて顧問先のソフトもバージョンアップしようとすると、顧問先のPC環境では最新版が動かないということが多々ありました。
このようなことが、大規模なシステムではもっと複雑に行われており、しかも24時間365日稼働が当たり前の現在では、そこに大変な苦労が伴います。
クラウドコンピューティングによりコストをシェア
このような運用コストは多くの企業が頭を抱える問題ですが、クラウドコンピューティングによって、これらのコストが「シェア」できるようになりました。
クラウドコンピューティングによるコストのシェアは、システムの開発コストのみならず、運用コストも利用者同士が相応に負担しながら、そのシステムを利用できることを意味します。つまり、誰もが使いたいと思うシステムが開発されれば、利用者が増えれば増えるほど1社当たりの利用コストは低減されていくのがクラウドコンピューティングの特徴なのです。
中小企業が受けるクラウドコンピューティングの恩恵
クラウドコンピューティングの登場により、ある程度需要が見込まれるシステムを事業者が開発・提供し、それをユーザー各社がサービスとして利用するという形態が一般的になってきました。
このことにより、以前は資金面で余裕がある企業でなければ使えなかったようなシステムを、中小の零細企業も利用することが可能になりました。ここであえて「零細」という言葉を使っているのには大きな意味があります。極端な話、1人で開始したスタートアップ企業であっても、必要なシステムを低額で利用できるところにクラウドコンピューティングのインパクトがあるのではないでしょうか。
2)サービス例
クラウドサービスの代表例・Google Apps
クラウドサービスとして一番利用頻度の高いシステムは、メールやスケジュール管理のグループウェアなどが挙げられます。例えば、Googleが提供しているGmailは、無料であっても2段階の認証プロセスが利用できるなど、かなり高いセキュリティ機能が実装されています。自前でメールシステムを持つ場合、なかなかセキリュティ機能を実装することはできないでしょう。
また、Gmailを含む有料のビジネス向けサービス「Google Apps」では、1ユーザー月額500円と低額で独自ドメインの利用ができ、メールだけでなくスケジュール管理やビデオ会議、ストレージ機能など、多様なアプリケーションが提供されています。
特にスケジュール管理機能に関しては、社内でスケジュール共有ができ、複数人数でのスケジュール調整に役立ちます。他に独自の社内ネットワークを構築しなくてもドキュメントが共有できるストレージ機能など、仕事の仕方そのものに変化をもたらすサービスとなっています。
クラウドの恩恵を大いに受けられる会計サービス
次に企業で利用頻度が高いであろうサービスは、会計を行うものです。会計システムは従来から共通化が進めやすいシステムの筆頭であり、クラウドコンピューティングにおいても、会計分野での活用事例が先行しているように感じます。
独SAPや、米Oracleのような、大企業向けERPパッケージを販売してきた大手ソフトウェア企業もクラウド型のサービス提供を開始していますが、freeeのような、中小企業や個人事業主をターゲットとしたサービスも独自の発達をしています。
これら中小企業向けに提供される会計ソフトの特徴は、銀行の勘定データやクレジットカードの明細、Amazonの購入履歴などを自動で取り込むことができることです。また、定型的に発生する取引は自動で仕訳をしてくれることも大きな特徴で、サービスの利用が長ければ長い程、仕訳の時間が短縮される効果が期待できます。
このような会計の仕組みも以前は大企業がそれなりのコストを投じて構築していた仕組みでした。それが現在では個人事業主であっても、低額で使える時代になっています。
顧客管理もクラウドの時代へ
顧客管理システムもクラウドコンピューティングによって大いに発展を遂げたサービスだと言えるでしょう。その中でも特に中小零細企業にとってインパクトがあるのが、クラウド名刺管理のSanSanです。
クラウド名刺管理サービスは、名刺をスキャンするだけで顧客データベースが構築されるというもので、営業現場の負担が少なく、かつ現場での利用価値が大きいというのが特徴になっています。
中小零細企業の場合、社内の人脈を生かし、戦略的なアプローチを取ることが非常に重要になります。Sansanは名刺をスキャンするだけで、正確にデータ化が行われ、その人物の過去の部門や役職の変遷などを把握できます。
また、その企業の組織も階層化して表示してくれるので、顧客企業で付き合いのある部門などが一覧で確認できるようになります。「タグ」による関係づけも可能で、大学や趣味のつながりなど、企業を超えた関係まで情報として可視化していくことができます。
このサービスにより、以前は共有できなかった営業マンのメモやコンタクト履歴なども前者に共有されるようになります。顧客との関係構築に役立つ情報がすべて一括で管理でき、会社にとって大きな財産に成長していきます。中小企業にとっては、戦略的な顧客アプローチをプランするための手がかりこれらの情報が活用されるのではないでしょうか。
高機能なレジがクラウドサービスの中に
クラウドサービスの普及に伴い、POS連動在庫管理、発注システムも安価に利用できるようになりました。これまで、小さな小売店で高機能なレジを導入することは、コスト面から難しい状況でした。
筆者の顧客にも小さな食品店がありますが、POSがないため、棚卸しは年に一回、一家総出で行わなければならず、また、消費税の税率変更に伴うレジ設定の際は、準備に何日もかかったそうです。在庫数は常に目視で確認しており、1週間に何度も在庫数の確認と発注が必要で、「発注ができる人が育たない」という悩みもあったそうです。
ただ、現在では様々なクラウド型POSが提供されており、利用料も無料~1万円前後と低額になってきています。機能も多岐に渡り、中にはポイント管理や顧客管理機能、複数店舗の管理機能も備えたクラウド型POSもあります。
これらのサービスは、いずれも以前は多額のコストをかけて独自に構築していたシステムです。それが今ではすぐに安価で利用できるようになっています。
3)クラウドサービスのメリットと注意点
災害対策という隠れたメリット
クラウドコンピューティングによるシステム利用の広がりは、中小企業に大きなインパクトをもたらしています。低額かつ定額で利用できるシステムを上手に活用することが、中小企業の競争力を左右する時代になっているのです。
クラウド上にあるシステムは自社で保守運用を行う必要がなく、多機能低コストという大きなメリットがありますが、災害時の復旧対策という点も見逃せないメリットがあります。
例えば、自社が被災した場合、自社のサーバーが壊れてしまえば、その中のデータもすべて失われます。しかし、クラウド型システムのサービスを利用していれば、例え自社が被災しても、データは残っているため、業務への支障は最小限となります。
また、クラウド型でサービス提供しているシステムは、遠隔地にバックアップを保有している場合が多いです。サービスを提供するサーバーがダウンしても、災害対策のバックアップが稼働すれば、サービスの利用者は業務が継続できることになります。
このような仕組みを独自に保有するのにはかなりのコストが必要となりますが、利用者は、これらの背景を意識することなくサービスの提供を受けることができるのです。
一方、クラウドサービスを利用するデメリットも当然存在します。一番大きなデメリットは、依存度が高くなればなるほど、自社の業務そのものがサービスに依存してしまうということです。
自社保有システムの場合、システム会社が倒産しようと当面の業務は継続できますが、クラウドサービスを利用している場合、その事業者がサービスを止めてしまえば全ての業務がストップしてしまいます。
クラウドサービスを利用する際は、運営会社を慎重に判断するとともに、常にそのサービスがなくなっても業務が回るような考慮を同時にしておかなくてはなりません。
例えば、会計システムにfreeeを採用した場合、きちんと証票類や銀行通帳は整理して保持することが大切です。決してスキャンデータのみに頼らず、いざとなれば「現物」を参照して一から経理ができるような管理を心がけましょう。
また、過年度データも元帳としてきちんと出力して管理するなど、最終的に頼りになるのは「現物」であることは意識しておきたいところです。これは税務的に求められていることでもありますが、現物証票類の管理は、クラウドコンピューティングの時代に、逆説的により重要さを増していると感じます。 クラウドだけでなく、リアルでの管理もこれまで通り行う必要があるでしょう。
まとめ・結論
ここまで、クラウドコンピューティングがもたらす中小企業へのインパクトについて紹介しました。中小零細企業にとって重要なのは、自社とクラウドコンピューティングとの距離感をどのように適正に保つかという点です。
手元に保持しない身軽さと脆弱さとのバランスをどのように保つのか、それは経営者にその判断が委ねられています。クラウドコンピューティングのメリットを最大限享受するために必要なことは、非システムの部分をどのような扱いにしておくかにかかっているのではないでしょうか。
もう1つ重要なことは、むやみにサービス同士を連携させないということです。現在のクラウド型サービスは連携する事が前提となっています。自社にて複数サービスをコントロールできれば便利ですが、あまりに全てを連携させすぎると、データの整合性が保てなくなるおそれもあります。
今後どんどん便利につながっていく世界で、あえて「つながらない」部分を設定することも、中小零細企業にとっては大事な経営判断の1つになってくるのではないでしょうか。