【パラグアイ在住の経営者の視点】仕事・職場・上司の「文化の差」を痛感する瞬間
私(松田)は現在、パラグアイという南米の国でビジネスをしている、ある日本人です。これからご紹介する話は、私の学生時代の話から、起業して、現在に至るまでの事を書いていこう思います。
「人間は同じ人種ばかりでない」この言葉を聞いて、うんうんと頷く、あるいは何当たり前の事言ってんだこいつ?と思う人は多くいると思います。
しかし私は、およそ5割以上の方々が「本当」に、心の底から、「あっ、この人。マジで自分と違うんだな」という経験をした事がないのではないかと思います。その理由は、これも当たり前の話ですが、その人をよく知らない内は表面的なことしかやっぱり分からないからです。
今回は、エピソードも含めて文化の違う人と仕事をするとはどういう事かを書いてみます。
文化の違いはやさしい心を生み出します!
私が思う文化の違いがもたらす一番の恩恵は、特に日本人からすると「寛容」になれる事だと思います。私達、日本人は外国人に甘いので、旅行者が多少のオイタをした所で言葉もわからないし、なんだか怖いし。という事で注意しなかったり許してしまう所がありますよね。
仕事をしていてもその感覚は変わりません。もちろん、全ての人にこの感覚が当てはまりはしないですけれど、私を含めて大部分は同じだと思います。
ビジネスシーンにおいて「怒り」の感情を発露する事はいい事ではありません。昔は怒鳴って社員をマネジメントするのが最高であり、仕事は俺から盗め!体制で臨む方が多くいましたが、これは現代では通用しません。それは教育の放棄であり、マネジメントの放棄です。もちろん、教育やマネジメントに多大な労力が必要な事は重々承知していますが、仕事の成果があがらなければ、やり方が間違っているはずです。
もちろん、私も人間なので自分の言った事をやらなかったり、自分の望む成果が出ない場合はイライラしてしまう事もありますが、日本人同士で仕事をする場合に比べて外国人に対して自分は寛容であると思います。
パラグアイ人と日本人の時間の感覚の違い
時間感覚の違いは仕事において大変重要な項目です。例えば日本なら電車は時間通りに来て、時間通りに着きます。しかし、パラグアイではそうはいきません。というかそもそも電車がありません。移動手段はバスか車のみです。
つまり、日本で30分ぴったりの移動時間をパラグアイに換算すると、交通状況によっては50~70分かかります。最大値をとって40分の誤差があるとして、移動を4回すれば160分の違いが生まれる事になります。さらに元来時間にルーズなパラグアイ人は30分ほどの遅れであれば許容範囲とされます。計算するのも恐ろしいですが後は、推してるべしといった所でしょうか。仕事に対してその時間感覚なので私生活はさらに、、、です。
それを表すエピソードがあります。
私がパラグアイ人を雇ったときのこと。彼は出勤日に当然ながら遅れて職場に到着しました。当然と書きましたが、パラグアイでは時間通りに集まるほうが少ないです。日本人の方に馴染みがある言い方をすると沖縄時間と同じ感じです。しかし、仕事であれば時間通りに来ることもあります。
けれど、その日の遅刻は、、、なんと1時間!しかもしれっと登場しました。若干イラッとした私ですが、そこは「寛容」になっているのと習慣なのでまぁまぁ、となりました。
しかし、仕事は仕事でこなしてもらわなければなりません、仕事量がわかりにくいので8時間分の仕事があるとしましょう。その後、仕事中に雑談していると彼は今日は友達と5時から予定があるんです。と言いました。おや!?これは早く帰りたい。というアピールかな?誰もがそう思うはずです、その後、淡々と仕事をこなしていく彼ですが、1時間遅れて着ましたのでもちろん、終わるのも1時間遅くなります。
さて、午後5時を回りました。彼は時間なので帰ります。というかな?言ったらさすがに嗜めようと思っていた私ですが、彼は5時を越えても淡々と仕事をこなします。
しかし、その日の仕事はなかなか捗らず、どうやら1時間ほど二人で残業しなければならなくなりそうでした。予定があるからな。さすがに6時には帰りたいと言い出すだろう。と思っていると、彼は淡々と仕事をこなしています。
6時を回ります。淡々と仕事をこなします。
さて7時、どうなったかというと、、彼は最後までいました。なるほど、友達の誘いを断らせてしまったか?と考えていると、仕事を終えた彼はすくっと立ち上がり、「友達と遊びに行きます」と言いました。
2時間も遅れてるのに!?行くの!?
「はい、いきますけど?」
呆然とする私を尻目に颯爽と職場を去っていきました。なんなら少しスキップ気味だったかもしれません。連絡もせずに2時間遅れて友人との約束に向かったわけです。
さすがに私だったら日にちを改めるか、電話の一本も入れそうなものですが、この時間感覚は一生分かりあえないと思いました。
パラグアイ人と日本人の責任感の違い
パラグアイ人と日本人では仕事に対する感覚というか、価値観がかなり異なります。例えば日本ではアルバイトであっても仕事は仕事、多少いやな事があっても接客業なら笑顔を絶やしませんし、社会人であれば仕事にますますの責任感を持って取り組むもの。それだけでなく、社会人になれば少なからず専門的な勉強をこなして一人前になっていくわけです、つまりその道のプロを目指す。ということですね。営業であれ、事務であれ、クリエイティブな仕事であれ同様です。
一方、パラグアイ人は生きる為に仕事をしている。という感覚が非常に強いです。だから生活ができれば別に働きたくないし、責任のある仕事をなるべく回避する傾向があります。
誤解していただきたくないのは、先ほど、私が話した彼の話を思い出してください。彼は2時間も友人との約束に遅れながらも仕事はキチンとこなしていましたね?これは仕事に対しての責任感の表れではないか?と思う人もいるかもしれませんが、そうではないんです。
パラグアイ人は言われた事はキチンとできるんです。言われたこと以外はなにもやりませんが。
では、どのように責任感がないのか?これは先の通り、指示されたことしかやらないってことです。わかりにくいかもしれませんので例をあげましょう。
深読みする日本人、指示に従うパラグアイ人
少々極端な話になってしまいますが、例えば上司が部下に「銀行からの融資に必要な4つの書類を集めてください」という命令を下したとします。ですが、本当に必要な書類は5つあります。上司はもう一つ、書類が必要な事を失念していたのですね。さて、その結果は……もちろん4つの書類しか集まりません。なぜなら指示を受けていないからです。
ここで日本を引き合いに出し考てみましょう。私たちの感覚では、この上司が望み、自分がしなくてはいけない仕事をどのように認識するでしょうか?
恐らく大部分の日本人は上司に必要なのは銀行の融資の手続きを行う上で必要な書類、という認識をもつはずです。そして不備の無いように書類をすべて集めることが上司に言われた「仕事」なわけです。一方、このパラグアイ人が思った仕事は○○と○○、さらに○○と○○という「書類を集める事」が仕事、という認識です。つまり、仕事に対する前提が異なっているわけです。
これがどういったことか、まだお分かりいただけないかもしれないのでさらに例を出します。
「ナゼ?」と考える日本人、意味は深く考えないパラグアイ人
特に日本人の若い方に多い傾向ですが、この仕事はなんの為にしているのか?という意味を認識したがります。それはつまり、全体の目標・目的に相違ない形で仕事を進めたいからです。
一方のパラグアイ人は仕事に対してそんなことは考えません。「言われたこと=仕事」なのです。
もしも暗い密室に案内され、目の前に一本の柱があって、その柱の横に一本の丸太がついていたとしましょう。この丸太を押してくださいと指示を受けたら、日本人はまず「なぜそんな事をするの?」と思うはずです。
担当官は説明します。この丸太は小麦粉を引くための動力になります。なるほど、これで彼の仕事は丸太を押すことから小麦粉を挽く…になりました。パラグアイ人は、言われたのでなんの為かは知りませんが、とりあえず丸太を押します。彼の仕事はやっぱり丸太を押すことのままです。
つまり、私が言う責任感の欠如とは、「与えられた仕事を目的・目標に沿ってキチンとこなす意思が欠落している」という意味です。
常識の違いは分かり合えないほど大きな違い
さて、ここまで書いてみると、あたかも「日本人は先のことを考え、自分の仕事を考え、とても偉い人種である。一方のパラグアイ人は言われたことしかできない人種だ」という捉え方をする方もいらっしゃるかもしれません。
それはとても日本的なモノの考え方なのです。パラグアイ人も日本人も同じ人間ですから、能力に大きな差はありません。それは能力の差ではなくて、仕事に対する認識の差なのです。つまりこれが価値観の違いというものです。私たち日本人と「常識」が違うというのはこういったことなのです。
表面上の事象ではなく、常識がわかり合えないというのはそういうことを指していて、異なった価値観を持っている人には自分、あるいは相手の行動が本当に意味の分からないことであり、なんであなたはそんな事をするの?してしまうの?という大きな違いなのです。
少し話が飛びますが、これを理解、尊重し、互いに仕事を進めることができないので、日本企業の海外進出はあまり上手くいかず、現場で問題が多く発生するのだと思います。
怒りのマネジメントはやっぱり有効?
これから私は矛盾した事を述べます。
冒頭で「怒りのマネジメントは現代では通用しない」というお話をしました。けれどそれは現代の「日本人」に対してのマネジメントだと覚えておいていただきたいです。日本人はプライドの高い人種であると思います。それは表面上では、そう見えなくても長く付き合っていれば誰しも命令をされたくないし、頭ごなしに怒られることを嫌うからです。もちろんそれはいいことでもあるのです。プライドが高く、怒られたりつっこまれたりしたくないから仕事もちゃんとするし、真面目で正確な仕事をします。
しかし、マネジメントは人によって形を変えます。現代の日本では成果をあげない怒りのマネジメントもパラグアイでは通用します。それは前述の通り仕事に対する認識が異なるからです。プライドがあるから怒られたくない日本人、一方のパラグアイ人はあたかも怒られたがっているようにも見えます。それが怒られることが好きという意味ではもちろんありません。
これは推測になりますが、「どこまでサボったり、やる気のない態度でも許されるのか?」という境界線を見極めているような気がします。だからこそ、一度か二度は怒られる必要がありますが、一度怒られた行為はあまり繰り返しません。ただ、やる気のない態度はいつまでも変わりませんけれど…。
そういうわけでパラグアイ人、あるいは南米の方と仕事をする場合は絶対に一度はキチンと怒らなければなりません。こちらの感覚でいえば、それこそが上司と部下の正しい関係なのです。いってみれば日本の会社が上司も部下も一応は知人として一緒に仕事しているのに対して、パラグアイは上司と部下が軍隊のような関係性というとわかりやすいかもしれません。
だから、プライベートで会うことはほとんどありませんし、日本のように上司が結婚式に仲人として登場するようなウェットな関係性もありません。
仕事・職場・上司に対する価値観が違う
文化の違う人と仕事をする。というテーマについてご紹介しました。もしかすると、この記事で書かれている内容は誇張なのではないだろうか?と思う方もおられるかもしれませんが、少なくとも私にとっては事実です。
仕事の対する価値観、時間感覚、一緒に仕事をする人との関係性は本当に日本と異なっています。
けれど、欧米やアメリカ、南米といった諸外国では仕事とプライベートを分ける考え方が主流なので、日本のように過労死やストレスから自殺してしまうような事件が発生しないのかもしれません。日本の会社が持っている風土や習慣は現在、明らかに過渡期を迎えていると思います。様々な問題を抱える現状を打破するには、こういった価値観も少し取り入れるといいのかもしれませんね。