【元起業家、退いた事業を振り返る:前編】 起業に失敗したので、南アフリカを放浪して“どう生きたいか”を考えた
freeeは、「スモールビジネスに携わるすべての人が、 創造的な活動にフォーカスできるようにお手伝いすること」を生業にしています。freeeで働く社員は多彩なバックグラウンドがあり、中には「元起業家」もいます。名前は宇津木さん。
実際に起業することの面白さ、苦しさ、怖さ、そして醍醐味は経験者にしかわからないので、張本人にインタビューしてみました。宇津木さんが起業するまで、起業してから、そしてfreeeに入社するに至ったかというお話を、前後編の2回にわけてお届けします。
宇津木さんプロフィール
青山学院大学理工学部卒。インターンとして関わっていたベンチャー企業に新卒として入社。事業部長として事業拡大に貢献し、5年目に本事業を買収し独立。その後改めてゼロから事業を作りたいと考え、中小企業向けに集客支援クラウドサービスを提供する会社を設立し2度目の独立。2015年にfreeeに参画し、セールス内のコンサル営業チームに従事。
<新メディア「起業ハッカー」がスタートしました>
働くことにネガティブな印象しかなかった学生時代
宇津木さんって、freeeに入社してどれくらい経ちます?
1年とちょっとです
もともと起業されていて、社長をいったん務めてからfreeeに入社したんですよね。どんな経緯で会社を設立してビジネスを回し、紆余曲折してfreee入社に至ったのか、教えてもらえませんか?
学生当時に遡りますと、当時の浅はかな社会に対するイメージでは、自分がサラリーマンとして活躍できるイメージが全く持てなかったんです
はいはい
好きなことでないと頑張れない性格でして、ある意味やや社会不適合者的な感じだったかも(笑)
労働のイメージが湧かなかった?
ぜんぜん。スーツを着てサラリーマンとして定時まで毎日働くイメージが湧かなかったです。労働の目的もなかったし、大企業で働くことに魅力を感じていなかったですね
どちらかというと、ネガティブなイメージ?
当時はGAPでバイトをしてたので、卒業後はアパレル業界か、最悪プーでもいいかな、なんて
いわゆる「意識高い系」とは真逆だったと
そんなあるとき、TVでホリエモン、サイバーエージェントの藤田さんを見て、衝撃受けたんです。若くして起業して、世の中にインパクト与えている人らがいるんだって、いい意味で衝撃を受けました
インターン >> そのまま入社 >> 起業という稀有なキャリアパス
「すごいな、うらやましいな」って感じたんですね
ええ。このとき、就職じゃなくて「起業する」って手段に気づきました
で、具体的にどうしたんです?
まずベンチャーでインターンをしました。マンションの1室でやっている小さなオフィスで、社員は自分を入れても5~6人だけ。零細企業なので、何も教えてもらえないし、指示もなく、いきなりあるプロダクトを任されました
「乱暴だな。やる気が出ない!」ってなっちゃいませんでした?
その逆で「おもしろい!」って思いました。すごく性に合ったんです。無茶ぶりはされるし、責任は重いけど、成果が返ってくる手ごたえがありました
上司に放置されるとヤダとか、手取り足取り指導されないと何していいかわからないっていう人もいますけどね
自分はむしろ気に入りました。「スタートアップの仕事っておもしろい」って思って、ついがんばり過ぎてしまったくらいです
で、どうなりました?
インターンしていたその会社に就職して、新卒にもかかわらずいきなり事業責任者にさせてもらいました。で、入社6年後にその事業を買い取って、2人で独立しました。これが1回目の起業です
念願の起業がアッサリと叶ってしまった
ただ、会社のオーナーにはなったものの、事業を買い取ったわけなので、仕事の内容は一緒のままじゃないですか。しばらくして、「あれ?刺激がない。つまらないかも」と思うようになりまして
えぇっ?せっかく起業したのに、思ってたのと違ったわけですね
満を持して会社設立するも、いきなり頓挫
「何もないところから、やりたいものをゼロベースで立ち上げてみたかった」って考えに戻り、その会社を去ることにしました。30歳になる前にゼロからチャレンジしたいという願いがあったので、別の新しい会社を作りました。これが2回目の起業
「これをやるぞ」って構想はあったんですか
ありましたし、メンバーも5人集めました。ベンチャーキャピタルも回って出資を募ったりして
精力的に活動を始めていたんですね
会社もサービスもまだない段階でしたが、営業活動は開始していましたね。Facebookで知らない経営者に声をかけまくって、興味を持ってくれた社長さんをにアポを取り、説明に行きました
すごい。アグレッシブだ
店舗向けのクラウドサービスを計画してたんですけど、けっこう興味を持ってもらえました
幸先のいいスタートじゃないですか
手ごたえはありました。サービスが未完なのに、実際に契約まで取れたり、ベンチャーキャピタルも興味を示してくれたりして、「今度はいける!」と期待しました
素晴らしい門出になる予感しかしない
ところが、仲間の一人だったエンジニアが病気で倒れ、ジョインできなくなってしまって…。代わりの人材を探したけど、これが見つからない
外注でやるという手段は?
見積もりをいくつか取ってみましたが、コスト的に合わなくて断念しました。そうこうするうちに、まったくサービスがつくられないまま時間だけが過ぎるという状況に
でも、お客さんやベンチャーキャピタルは待ってくれないでしょう?どうしたんです?
スケジュールが遅れまくって、経営者にもベンチャーキャピタルにもそっぽ向かれ、破談になってしまいました
あらら…
事業の立ち上げに失敗したので、南アフリカを放浪してきた
せっかくの計画が水泡に帰してしまったと…
独りぼっちで何もやることがない状態に陥ってしまいました。会社という器はあっても、サービスはないし、売り上げもゼロ
危機的状況だ
逆転の発想で、「こんなに自由に時間が使える時期は、長い人生でもめったにないぞ」と思い、南アフリカに行くことにしました
金もない、仕事もない状況で、何をやっているんですか
金欠なのに、いったい自分はなにをやっているのだと思いながら飛行機に乗りました(笑)。直前予約だったせいで飛行機チケットが25万円もしたんです。ちなみに冒頭のキリンの写真は私が実際に現地で撮影したモノです
起業がとん挫し、南アフリカに現実逃避して……何か発見はありました?
喜望峰を見に行ったり、ケープタウンでホームステイしてきたんですけど、南アフリカで改めて考えたのは、「後悔のない人生を生きたい」ってことでした
つまり、やりたいことを思い切ってやる人生を送るということですね
ええ。ただし初回の失敗から学んで、今度は「人に頼らず、自分一人で運営・開発できる範囲でチャレンジしよう」と考えました。外部依存は極力せずに、独力でサービスを作ってみました。HTMLとかCSSくらいはわかったけど、プログラミングはできないので独学しつつ
チャレンジャーですな
独学で勉強して、一気にプロトタイプをつくりました。C2C的なサービスでして、それなりに人が集まって、人気が出そうな気配はあったんですが、マネタイズするまでの道のりが長すぎて暗礁に乗り上げてしまいました
当座は受託で乗り切るって考えはなかった?
金銭的に苦しくても、「ラーメン代稼ぎ」はしたくなかったんですよ。だって、それってそもそもやりたいことではないから
※ラーメン代稼ぎ = ビジネスが軌道に乗るまでの日銭稼ぎ的な受託開発の隠語
それをするくらいなら、サービス開発に注力したかったわけですね
ええ、でも結果的に、体力がもたずにスケールさせることができず、そのサービスは失敗に。その後、いくつものサービスを考え、立ち上げては潰す……を何度も繰り返しています
だんだん話が暗くなってきましたね…
話が面白くなるのはここからですよ……フフフ
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